Vol.8 新聞業界に引き戻された夜
20歳で会社を設立すると決めていましたが、実際にその段階になると、どういうビジネスを始めるか、その内容を考えるのに苦労しました。
マクドナルドの配送で食いつなぐ
「何をしようか」と考えていると、7つ上の地元の先輩が仕事も覚えてきたので、そろそろ独立を考えていると言います。先輩はハウスクリーニングやリフォームの技術を持っている。僕は営業が大得意です。「じゃあ、一緒に会社をつくりましょう」ということで、先輩とふたりでリフォーム会社を作りました。1996年のことです。
会社設立後はマンションオーナーのところを集中的に営業にまわりました。ただ、独立したばかりの会社にマンションのリフォームを任せるオーナーはまずいません。ふたりで50万円ずつ出して会社をつくりましたが、仕事をしなければ資本金などすぐに食いつぶしてしまいます。そこで、夜中にマクドナルドの各店舗にハンバーガーのパンを運ぶ仕事を始めました。毎日、トラックに乗っているとそれが本業になってしまうので、月水金は僕、火水土は先輩というように、交替でパンを運んでいました。昼間はマンションオーナーへの営業です。
そんな生活を1年ほど続けていたところ、あるマンションオーナーのおばあさんが「そこまで言うなら」と、ワンルームマンションの1室のクロス張り替えの仕事を僕たちにくださいました。大チャンスです。
「2日もかけてやってくれるなんて本当に丁寧やな」
ただ、今だから正直に言いますが、僕の手がとても遅かったんです。先輩は職人ですからさっさと張り替えますが、僕は練習で自宅のクロスを張り替えただけの素人ですから、クロスを張るのにどうしても時間がかかってしまう。その様子を、おばあちゃんが後ろで腕を組んでじっと見ているという恐ろしい状況です。「このままだとまずいな」と思った僕はトークでカバーすることにしました。
「ノンホルムアルデヒドという接着剤は、ホルムアルデヒドという化学物質がちょっと入っていても『ノン』と言うんです。おかしな話ですよね。僕たちの使っている接着剤はゼロ・ホルムアルデヒドです」とちょっとした小話を入れたり、言われてなくてもスイッチプレートを全部新品に変えておいたりしました。
僕としては、手の遅さをごまかすための苦肉の策でしたが、おばあさんの評価は真逆でした。普通の職人は1日で張り替えてさっさと帰っていくけど、あんたらは材料の説明から何まで、2日もかけてやってくれるなんて本当に丁寧だね、と。その女性は資産家で、最終的に持っている何棟ものマンションのリフォームを次々と任せてくれました。知り合いのマンションオーナーも紹介してくれました。
ピアノバーでの衝撃のオファー
作業の手が遅いのは致命的な問題で、材料の説明をしたのは時間を稼ぐためです。それでも、それを丁寧だと捉える人がいるというのは驚きでした。捉え方一つで評価が全然変わるんだなと。軌道に乗った後は忙しくなり、リフォーム会社は従業員を数名雇うまでになりました。
ところが、僕の運命を変える出来事が23歳の時に起きます。読売新聞の本社の方に呼び出されたんです。
当時、大阪に完成して間もない注目のリッツ・カールトンホテルに行くと、ピアノバーのソファに読売新聞の幹部と、なぜか父親が座っていました。「なんだろう?」と席に着くと、読売新聞の方が父親に「息子さんを貸してください」と言うじゃないですか。何の話をしてるのかな?と思っていると、「青木君に建て直してほしい販売店があるんだ。青木君の営業力で建て直してほしい」と。衝撃の展開です。
念のため、いつからですかと尋ねると、1週間後という話です。「明日、金融公庫に行って700万円借りて来てくれ。それで630万円の権利金を支払ってほしい」。幹部の方はそう言いました。「すごい展開だな」と思いましたが、グランドピアノの演奏が流れるピアノバーで高級なお酒をごちそうになっているうちに、すっかりその気になってしまいました。
翌日、冷静になって考えると、「やってしまった」と思いました。朝早い新聞販売店はタフな仕事ですし、様々な人が集まる営業は労務管理が大変です。それでも約束してしまったものは仕方ありません。先輩には事情を話し、金融公庫にお金を借りに行きました。23歳の5月です。
任されたお店は寝屋川市にある、契約者数1190件の小さな販売店でした。大きな団地のある住宅地の一角です。競合紙との競争が激しいエリアで契約数が伸びず、前の社長は更迭されていました。代わりに、若い僕を社長に据えようということだったようです。当時は23歳の販売店社長なんて前代未聞です。こうして、僕は再び新聞販売業界に舞い戻ってきたわけです。