第一話
「作曲しよう。」
そう呟き、男はおもむろにギターを抱えた。
ひた向きに追いかけていた「夢」としての音楽活動をやめてからは、時折趣味で弾いて遊ぶとき以外ギターを持つことはなく、作曲をするためにと手にしたのはこの5年間で初めてのことだった。
当時の自分が慣れ親しんだ、懐かしく聞き覚えのあるコード進行を指で辿っていく。
なんのまとまりもない不細工なメロディが鼻歌になり、真っ白な部屋の中に流れている。
そのメロディの所々へまばらに並んだ単語が置かれ、単語から連想された物語を書いていき肉付けしていくのが男の作曲の癖だった。じんわりと作曲の感覚が蘇ってくる。
最近になって体調不良が続き病院で検査を重ねた結果、軽度ではあるが精神疾患だと診断された。原因は不明なままだ。
休日、珍しく朝早く目覚めた男は直感なのか防衛本能なのか、あるいはただの気まぐれなのか。今日、曲を完成させることで自分の中の「何か」が変わるかもしれないと思った。
唐突な行動に思い当たる理由があるとすれば、通っている整体の先生がくれたアドバイスがきっかけになったからなのかもしれない。
「日々感じたことを絵に書いてみるといいよ。書いた絵が溜まってきたらここに持ってきて。その場で私が破り捨てるから。」
そうしてもらうことで自分でも知りえない心の整理がつけられるとのことだった。
自ら破いて捨てない理由は、気に入った絵が書けたときもったいないという感情が生まれ、残しておきたくなることがあるからだそうで、そのまま残してしまってはせっかく外に出せた気持ちが絵を見るたびに蘇り意味がないらしい。
最初は楽しんで取り組んでいたが、幼少から絵は大の苦手だった。大人になってからも『人参を食べている馬』を描いた際友人から「これ怪獣か?火でも吹いてんの?」と聞かれ、『猿』を描いた際には「今度はわかった!これはドラえもんだろ!」と言われた。
そんな自分だからなのか絵を描くことは長くは続かず、今その代わりとしてギターを抱えているのかもしれない。
心の奥にある「何か」を吐き出すように目の前の白く無機質な空間へ、あやふやなメロディを紡いでいく。
一時間程、ぼんやりとその「音」を出してからギターを床の上に寝かせ、本棚の壁側に押し付けて閉まってあった古いノートを取り出した。白紙のページを開き、ガラス製のリビングテーブルの上に置く。普段使わなくなったシャープペンシルを納戸の中から探し出し、開いたページの一番上の行にゆっくりとペンを下ろす。
「とりあえずは」と、未完成の曲にタイトルを付けてみた。
『ピエロは唄う−replay-』
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