第十話
「なんでこんなことが起こっているのだろうか。」
永人はまだ理解が追いついていない。
入院時には肺に貫通した管がぶら下がった仮の肺となるプラスチック製のバックのような物を持ち歩き、風呂も入れていない劣悪な状態の姿を見られているし、デートの内容も中途半端だったばかりか最後には了承も得ずにキスまでしてしまったのに。盛り上がった会話が出来たわけでもなく、終止一方的に見とれていただけの一日だったはずだ。
それなのに、気がつけば里緒ちゃんは「永人君のことが好きだよ。」と言ってくれるようになっていた。
クリスマスを迎える頃彼女は長い間付き合っていた幼なじみの彼と別れた。長年共に生活してきた彼と別れてまで自分を選んでくれたのは一体何故だろう。
彼とのマンネリが原因で空いてしまった心の穴を埋めるだけ、自分は息抜きの相手だとばかり考えていたマイナス思考の永人にはいくら考えても答えなど見つけられるはずもない。代わりに頭に浮かぶことと言えば、彼女を奪ってしまった報復にやって来た彼に殴られ蹴られ泣きながら謝る自分の姿だけであり。これだけは容易に、鮮明に想像ができた。
そもそも何故毎回こんな悲観的な妄想ばかりを繰り返してしまうのかといえば、自分でも実感出来るくらいに運が悪く間も悪いことで巻き込まれていた事件達が原因と言えるだろう。
また過去の話になるのだが、中学に入学して早々掃除の時間に目隠しをして廊下で友人と遊んでいると、見るからに暴走族的なんらかの組織に所属しているであろう3年生のお方に思い切りぶつかってしまい、そのままトイレに連行された。
まるでトイレにでも住んでいるかの如く背景にピッタリのいかつい先輩方がそこに溜まっていて、瞬時に囲まれたのだった。
「なんなのこいつ?」
奥に居た一人が聞く。
「いやぁね、急にぶつかってきたからさ、ちょっと連れて来たんだわ。」
ニヤニヤしながら道で猫でも拾ったかのようなトーンで紹介されたのだが、こんな無様で小汚い野良猫を可愛がってくれる感じの方々にはどうしても見えなかったのでただひたすらに謝り、助けを乞うていた。
かろうじてその中に一人だけ、動物愛が強く「弱い者への優しさ」を装備していらしたお方がおり、「まぁ、今日は帰してやれよ。」と止めてくれたおかげで大事には至らず無傷で野に放っていただいたのだった。
その日から永人は掃除の時間や休み時間を出来るだけ教室という穴蔵から出ないように、ひっそりと暮らすことにつとめた。
高校の時には、大熊が当時入会していたカラーギャングの「頭」と言われているお方に道で出会い、大熊と一緒に歩いていたので自分も軽く挨拶をしたことがあった。
ただそれだけなのだが、永人の「何か」がお頭様の癇に触ったようで、集会の際大熊が「あいつ生意気な奴だな。」と言われたらしく、その後町中を探されていたことがある。「今見つかると大変危険だ。」という大熊のなんともならない助言のもと、外を歩くのが困難な時期が半年程続いた。
小学生でもわかる助言はいいから大熊が弁解してくれればそれでいいはずだ。というか、「一体何故俺は狙われているのだろう?」この疑問が晴れることはとうとうなかったが、時間の経過と共にいつの間にか厳戒態勢は解除となっていた。
ほとぼりも冷め、ようやく外を歩けるようになった永人は早速学校をさぼり他校の友人とカラオケに行った。久しぶりの「シャバ」を満喫している。堂々と出歩けることとはなんて心地のいいものだろうか。いつも失くして気づくのだ。幸せとはこんなに近くにあるということを。人間とはやはり愚かだ。
カラオケの最中友人の携帯に、「今夜数駅先の町で喧嘩があるから見に行かねー?」とメールが入り、面白半分で見物しに行くことにした。移動する電車の中で説明を聞いてみると、中学の同級生が何処かの組織に入っている奴と揉めたことで喧嘩になったという経緯らしい。
「同い歳のみのギャラリーで揉めた二人がタイマンでやり合うのを見守り、乱闘になりそうだったら全員で止める。」という前提だったのだが、現実は全く話と違い駅についた瞬間から何やら武装した集団に囲まれた。事実は小説より奇なりという言葉があった気がする。
何も状況がわからぬまま、その中の一人がこちらに近づき無言のまま近くに居た大熊がいきなり殴られていた。「大熊よ、お前なんて運が悪いんだ。」そう思っていた。
「親知らずでも抜いたの?」と質問したくなるくらい腫れた顔の大熊を横目に、会話も交わさぬままとにかく着いてくるよう指示され、見物に行った全員が線路沿いを静かに連なって歩き薄暗い広場まで連れて行かれた。15分程歩いただろうか。
建物に囲まれた広場の中にはこちらの見物サイドの倍はいる「お相手」が待っており、あろうことか木刀を担いでる奴までいるのが目に入る。
仲間の誰かが小さな声で言った。
「絶対に、手出すなよ。」
その後、一人ずつ広場の中央に連れていかれ一方的にボコボコに殴られていった。一番後ろに居た永人はとっさに警察を呼びに行こうと判断しその場から走って立ち去ろうとしたが、広場の出入り口付近にも数人潜んでいたために容易く捕まってしまい、結果全員ボコられたのだった。
痛んだ身体を地面の冷たさでアイシングしながら広場の隅で倒れていると、揉めごとの当人が数人に囲まれやりたい放題にされているのが目に入る。
「ヤベー!初めて人殺しちまったー!」
ぼんやりとした視界の中で大柄の男がそう叫んでいる悲惨な光景を、未だに忘れられずにいるのだ。
皆体中怪我だらけで、やりたい放題にされていた友人は重傷をおってしまった。もう歩くことも出来なくなった彼を皆で担ぎ、近くにあった小学校のプールに侵入して血を洗う。血を落としたおかげかなんとか警察にも見つからずに駅までたどり着くことができた。
しかし、いくら洗ったとはいえ顔は原型がない程腫れ上がって変色し、一人で歩くこともできない友人の「その姿」をみた一般人から通報され、結局駅に救急車と警察が呼ばれ数人が病院へと運ばれたのだった。
目に付く場所には外傷が少なかった永人ともう一人の友人は別のグループを装い帰ることに成功したのだが、ここでも運悪く警察から逃げて行く姿を練習帰りのサッカー部の先輩に目撃されてしまった。ばっちりと目が合っている。顔を伏せたがもう遅いだろう。
「乱闘事件に巻き込まれたことが判明し警察にでも呼ばれては部活に迷惑をかける。」そう判断した永人は翌日、監督に退部届けを出していた。
腹に集中して打撃を食らったため飯も数日喉を通らないことを母親は心配している様子だったが「気にしなくていい。風邪引いただけだから。」そう言い続けた。
幸か不幸か、後日予想通り警察に呼び出され何日もかけて事情聴取が行わた。あげく新聞にまで掲載されてしまったのだった。部活をやめておいて正解だった。それだけが救いだ。
事件直後、激怒した親父に携帯電話を真っ二つに折られ、以来4、5年まともに口を聞くことはなかった。
大学に進学し里緒ちゃんと出会った後も、大熊と二人杉並区辺りで飲んでいた際にまた変なものに巻き込まれた。この日は本当に「普通に」居酒屋で楽しく飲んでいただけだったのだが、大熊が席を外している間にスキンヘッドの兄ちゃんが永人の前に現れ、「俺の街でお前、でかい顔してんじゃねーよ。」という謎めいた「呪文」を唱えたかと思うと、胸ぐらを掴まれ店の中を引きずり回された。脳内ラビリンス状態の中土下座を強要され、それにしたがう。
細かいものを入れるとまだまだ沢山あるのだが、過去の全てに起因する想像力が永人には備わっている。
幾多の経験から「暴力的事象」を引き寄せてしまう自分の運の悪さを感じ取っており、そのことに対するトラウマをかなり大きく抱えていたのだ。
特に、殴られた瞬間血液が異常な早さで身体を駆け巡り痺れるような感覚がするのはなにより不愉快で嫌いだった。
いくら恐怖心を抱えていても時間と共に確実に世界は動いていく。
里緒ちゃんは引っ越す場所も決まらないまま飛び出してきたので、必然的に永人のアパートで一緒に暮らすことになった。
人生初めての同棲生活は唐突に訪れ、最初の数週間はビクビクして過ごしていたものの二人での暮らしはとても楽しく、彼女の魅力にどんどん惹かれていくのだった。
1ヶ月も経つ頃には恐怖心もすっかり消えていた。暮らしの中で特に彼女を好きだと感じたのは、世界の捉え方が自分とは全く異なっているところだ。
卑屈で人の目ばかり気にしていた自分には考えられないような行動をする彼女に驚き、惹かれていく。世界を悲観的に捉えることもせず、いい意味で人との壁がない。誰に対しても等身大で関わっていく姿が印象的だった。
近所のスーパーに彼女一人で初めて買い出しに出かけた時は「安売りになっていた野菜があったんだけど使い方が全然わからなかったからね、近くで買い物していたおばちゃんに話しかけたら色々教えて貰っちゃった!30分くらい話し込んじゃって遅くなったからすぐに夕飯にするね!」そう言って笑いながら話す姿は透き通る程無邪気で、とても同じ人間とは思えなかった。
バンド練習の日、雨降りの中一緒に駅まで歩き見送ってくれた際もそう。改札を通り抜た永人が後ろを振り返ると、人目を憚らず構内で傘を広げて振り回し「行ってらっしゃい!気をつけてねー!」と、笑顔で見送ってくれた。
休日、何処かへ出掛けて行ったので「今日はどこに行ってきたの?」と聞くと、「この前見かけたんだけど川の石に引っ掛かったサッカーボールが取れなくてね、ずっと水の流れでくるくる回ってるのを見に行ってきんだよー!」と嬉しそうに話す。
永人の誕生日、風呂に入ろうとすると浴槽がカラフルな風船で埋まっていて、その一番奥にプレゼントが隠してあったこともある。
とにかく物腰が柔らかく、永人の知り合いは彼女から見れば全員歳下なのにも関わらずいつも気を使ってくれていて、本当に素敵な女性だった。たまにその純粋すぎるキャラクターから、職場や他のコミュニティで「ぶりっ子」と言われて傷つくことがあったようだが、一緒に暮らしている永人にはちゃんとわかっている。
作ったものではなく、持って産まれた魅力的な彼女のキャラクターに皆嫉妬しているだけだ。目の前のことに一生懸命で、少女のような純粋さを持ち、一日、一日を精一杯暮らしているところが彼女の魅力であり、そんなところが好きで羨ましくもあった。
自分に向けられている大きくて綺麗な目が間違いないと言っている。
透き通るように心の綺麗な人だった。
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