付着.28 クイズ、謎解き、伏線回収
今回は「ふ」だ。
ところで、皆さんはクイズや謎解きがお好きだろうか。前から思ってることがある。
皆、クイズ好きだなぁ。って。
皆、クイズ好きだなぁ。って。
謎解きとか脳トレとか実家に帰るとテレビでよく見かけるし、書店でも見かけるようになった。
そこで。今日テーマも近年よく見かけるようになった「伏線」である。
伏線も一種の謎解きみたいなもんだが、作り手も読み手もとにかく凄いの一言だ。世はまさに空前の伏線ブームと言える。(個人的に、ですが。)
ONE PIECEの伏線、考察などは本まで出ているし、読めば唸らずにはいられないほど様々な伏線が存在している。火付け役がONE PIECEなのかはさておき、その他の作品に対しても評価されるさい、この伏線がすごいなどと耳にするようになった。
しかし、これ。作り手からすると複雑な気持ちなのではなかろうか。伏線があることが前提として見られるようになると、内容どうこうよりも伏線の潜ませ方に向き合う時間が増えてしまうことにもなりかねない。
伏線すごい!伏線熱い!気持ちはわかるのだが、そんな作品ばかりでは読み手も疲れてしまうはずだ。
昨日書いたテーマ「ひねくれる」を読んでいただいた方にはご理解してもらえるかもしれないが、だいぶひねくれている自分にはそもそも、クイズや謎解きがこんなにも人気になった理由がイマイチわからない。
幸福論、人生観。我々の生活自体が謎大きものであり、日常の問題だけで手一杯なのに。なぜわざわざ問題や謎を増やさねばならないのか。日々選択を強いられる毎日にこれ以上選択肢を増やすなんて、皆もしやMなのか。
そんな疑問が消えないうえに、もうこの段階で1つの謎が襲ってきているのだ。とてもじゃないが増やしたくはない。
伏線が増えれば増えるほど、その糸に絡まってがんじがらめになってしまう。お互いによくないだろう。
と、ここで一言書いておくことで、この先自分が小説を書くときに伏線を準備しなくていいように、伏線をはってみたのだ。
難しいテーマで書こうと思っているため、伏線まで考え出したらパニックになる。
どうだろう。謎解きや伏線について考えるのはコナン君や金田一少年あたりに任せて、純粋に作品を楽しむのもいいのではないだろうか。
というより、ここまで書いておいてなんなのだが、それぞれがそれぞれの楽しみ方で、作品や人生に向き合えればオールオーケである。
あまり難しく考えず、考えたい人は考えて、明日もいい日になればなぁと思う。
そしていつか書き上がった小説が皆様の目に留まることがあれば、伏線はないものとして楽しんで頂ければ幸いである。
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