第十四話
小さくても覚悟が決まると周りの環境も自ずと変化していく。
ブログを進めてくれた俊介さんと店長が永人のバンドに、もう1バンドと協力して1年間毎月一本ずつ自主企画したイベントでライブをしてみてはどうだろうかと提案してくれた。
イベントの主旨は、メインの2バンドが毎月それぞれ「紹介したい!」と思えるバンドを連れてきて、お客さんや相方のバンドへパイプを繋いでいくというものだ。
1年間続けて一緒にイベントを盛り上げてくれる仲間をどんどん増やし、1年後の12月には集まった仲間達と盛大にイベントの最後を祝う。ざっくりとしたコンセプトだったが、頭の中に描いた最終日の光景は夢を叶えた後の景色のようだった。
相方になるのは以前に一度だけ下北沢でライブをしたことのあるバンドで、中でもドラムの太(ふとし)君に永人は当時からかなり惚れ込んでいた。
「あんなドラマーとバンドが組んでみたい!」
他のバンドのライブをみながらそう思った初めての相手だ。自分にとって太君は理想のドラマー像だった。彼がいるバンドと1年間も一緒にライブが出来るのはとても嬉しく、すぐに提案へ賛成し動き出すことにした。
「この一年は大切な年だ。」それを肌で感じている。こんな風に自由にイベントをさせてくれる環境他にはないし、相方になるバンドも尊敬できるバンドだったからだ。出来ることから精一杯取り組むことでこれまでお世話になったライブハウスに恩返しがしたかった。
「イベント、させてもらいます!」
返事をしたこの瞬間から、永人の人生で後にも先にもない怒濤の1年が始まるのだった。
先ずは夕方動きやすくなるようにとお世話になった居酒屋でのバイトを辞め、大きな商業施設内の子供服売り場で働きだした。中学生のときは保育士になりたかった永人にとってはこれも憧れの仕事だった。子供達から教わることが沢山あり、仕事はとても楽しかった。
そう。物事のスタートはこんな風に大抵順調で、ビギナーズラックともいわれるように実力以上の結果がついてくることが多いイメージなのだが、企画したイベントにはそんな甘い考え方も全く当てはまらなかった。そもそも何故物事のスタートに関してそんな良いイメージを持っていたのかも今となってはよくわからない。
普段からお客さんが入らないバンドが毎月イベントをする。無名の永人達が「今年僕らは無謀なチャレンジをします!応援宜しくお願いします!」と銘打って、ポスターやフライヤーを作り配ったとしてもそれだけで自動的にお客さんが増えていくはずはなかった。
友人が代わる代わる遊びに来てくれるだけでその他の集客は参加してくれる他のバンド次第という、なんとも不安定で他人任せなイベントになってしまっていたのだ。
一ヶ月という準備期間では、イベントに出てくれるバンドを探し少ない知り合いに声を掛け、なんとか枠を埋めることだけでも困難だった。ギリギリ出演バンドが決まってもイベント当日までに新しくお客さんを獲得する「何か」をしなくては1年間、無駄な時間にしてしまう。頭ではわかっているつもりだが、その「何か」をする余裕もなければ具体的な「何か」を見つけることすらできてはいなかった。
それでも遊びに来てくれる人のために「とにかく音楽だけはいいものにしよう!」そう言って練習に明け暮れても人を集めることには繋がらない。日を増すごとに皆が気づいていた様子だったが、練習以外の「何か」を探すことができず、違和感を感じながら曲作りと練習を続ける日々を過ごした。
イベント当日になって通行人に無料でチケットを配ってみたり、永人は渋谷駅付近で弾き語りをしながらチケットを配ってみたり、フライヤーをひたすらばらまいてみたり、本来であれば準備期間にしなければいけなかったことを当日なんとかやりきろうとしている。東京の街で一人、あてどなくもがいている惨めな自分の姿は夏休みの宿題が終わらない学生時代と何一つ変わっていないように感じた。
メンバーも各々似たようなことを考えていたのだろう。精神的にすり減っていくのが目で見てわかる程だった。
一度恭二が失踪しかけ、それを皮切りに喧嘩も増えていく。この状況をなんとか変えようと考え、永人は一人動き出す。
「占い」と言ってしまえばきっかけはそれだけなのだが、今の住まいから引っ越し皆と離れることを決意した。例え神頼みだとしても自分の音楽性を高めるために。メンバーにいつまでも甘えないために。
永人が選んだ引っ越し先の方角は、「世の中に出ていくこと」にチャンスをくれる吉方らしい。
無謀な引っ越しを選択したのは、先ほど述べていた甘えないとか高めるとかそれらしい理由の他にもいくつか別の理由がある。
一つ目は大学入学の際、母親が勉強していた方位学でみると大学のある町自体が永人にとって「最悪の方角」だと言われていたのだった。「最初の2年間が特に悪くて、引っ越してから身体を壊す可能性が高いし危ないみたいだから大学から離れたところでアパートを探しなさい!」
散々注意はされていたが、そんな占いみたいなものを当時の永人が信じるはずもなく、「ただでさえ学校に通うのが面倒でサボりがちだった俺が電車使ってまで学校に通うと思うか?」と逆ギレし、大反対を押し切り大学から徒歩5分圏内の場所にアパートを借りた。
しかし、前述したとおり右の肺が肺気胸になり入院することになる。一度なら「偶然だろ」とも笑えたが、退院から約半年で左の肺も肺気胸になり二度目の入院をしたそのとき、酷く後悔したのだった。
「人の言うことはなんでも聞いておくもので、占いなんかも馬鹿にしてはいけない。」
身体に強く刷り込まれた経験を糧に導き出した永人なりの「何か」がこの引っ越しだ。
「逆を言えばそんなにも当たる占いなのだ。方位学を使えばこの現状を変えてくれるんじゃね?」
他力本願にもほどがあるが、行動しないことの方がよっぽど酷い結果になるとこのときは本心で思っていた。
二つ目はアパートの更新手続きに関する知らせの用紙が届かず、(届いていたが読まずに捨てた。がおそらく正しい。)更新を忘れていたところに不動産屋から連絡が入ったのだ。
「次の人の入居が決まったので遅くても今月末にはアパートを出てくださいね。」
それを聞いた永人は「そんな急なことありえるか!」と怒り、不動産屋と大家を交えて大揉めすることになった。
「こっちで引っ越しの際かかる清掃料等を全て負担しますから。」という大家さんの提案でなんとか話はまとまり、引っ越しを決めることにした。(というか、引っ越すしかなかったのだが。)不動産屋、大家、いずれかが一度でも部屋を見に来ていたらきっとこんな条件で話はまとまらなかっただろう。
バイトとバンドの用事、里緒ちゃんに会うことと酒を飲みに行くこと。この四つ以外では5年間ほぼ引きこもりの生活をしていた部屋だ。当時の永人には「換気」という概念がそもそも欠落しており、窓も一切開けず好き放題タバコを吸い続けていたため壁一面に張られたフライヤーやポスターを剥がすと、どんなに掃除しても決して取れないであろう沢山のシミで部屋の壁はレンガ模様の壁紙でも張ってあるかのように黄ばんでいたのだ。
「あぁ。これ全部張り替えだろうなぁ。」
他人事のように呟きながらタバコを咥える。生ゴミなどもよく放置してあったので床の傷みは激しく、キッチンや水回り周辺の床に至っては所々腐っていた。
その光景を眺めながら、「無料にしてもらえてむしろありがたかったんじゃないか?」と思う程段々と片付いていく部屋のありさまは酷かった。
「うむ。かえってすまない大家殿。心中お察しする。御免。」
馬鹿にしたように呟きながら急いで物件を探し、引っ越しの準備を整えていく。
近々中居をやめて戻ってくる予定だった里緒ちゃんも一緒に物件を探し引っ越すことになった。二人で部屋を借りるつもりだったのだが、母親に相談したところお互いの吉方が合わず、検討の末永人は一人上大岡という街に住むことに決めた。
前回の移動がかなりの凶方移動だったのでいいこと尽くしの方位とまではいかず、母親に言わせれば「せいぜい前回の凶方移動の分を帳消しにする程度の場所だね。」とのことだったが、変化を望むならそれでも十分環境を変えることがでる。更に「0」になるというのなら、今度は最初から自分の好きなように作り直せるチャンスだとも思えた。
里緒ちゃんは試行錯誤した結果、少し離れた新逗子に住むことが決まった。彼女の引っ越し先はすごくいい方角で、「人生に要らなかったものがすっきりしていく」という方位らしい。また離れて暮らすことになったのは寂しかったが、二人の人生がより良くなればと納得し「新しい環境で自分を整えながら、方位が合う時期を見計らって次こそ二人で暮らそうね。」と約束した。
永人の借りた上大岡の物件は駅から20分以上歩くことに加え、天空にまで続いているような急坂を登りようやく辿り着けるという立地で、背の高い建物に囲まれ日当りの一切ないジメジメした暗い部屋だった。内見の際床の上を歩くと湿気で足跡が残っていた程だ。
もちろん他にもいくつか内見したが、この場所を選んだ理由は一つ。「安くて広いこと。」6畳間の部屋が二つあり、14畳もあるリビング。駅まではだいぶ歩くが、ボーカルとして毎日トレーニングするには持ってこいで、わざわざジョギングに出なくても運動できる。
横浜駅へも快速電車に乗れば一駅だ。この条件で家賃は6万円を切っていた。自分にはうってつけの素晴らしい物件だと思った。
無理にデメリットを考えようにも特には思いつかず、唯一あげるとすれば活動しやすいようにとメンバーが集まったのに一人離れたことで練習の際集まりづらくなったことくらいだ。しかし、これは自分で決めたことでありデメリットとは言えない。つまり考えれば考える程、「紛れもなくこの引っ越しは正解だった」と自分に言い聞かせとにかくここで足掻いてみることにした。
「住めば都」
よく耳にする言葉だが世界はそう甘くはない。日当りの重要性などこれまで考えたこともなかったのだが、室内の湿気が強すぎて家電が端から壊れていった。妄想の中ではトレーニング器具の代わりとなり重宝するはずだった急坂も、楽器を背負いながら疲労困憊で帰る日や、単純に飲み過ぎて朝帰りになる日にはいっそ帰ることを諦め野宿してしまいたくなる程の高い壁に姿を変えた。そのためついついタクシーを使ってしまい出費もかなり増えていた。
突然だったこともありバイト先は引っ越し前と変わらず毎日通勤だけで2時間かかり、遅番の日は終電ぎりぎりになるので毎回走って駅に行く。電車を乗り継いで上大岡に帰ると日付は変わっていて、天空へと続く暗い坂道をトボトボ時間をかけて登り、部屋に戻るとそのまま布団に倒れ込む生活が続く。とてもじゃないが帰ってから作曲も練習もする気になれなかった。
半年程過ごしたが「都」に変わる気配は全く感じれず、正直なんのためにこんな苦行を続けているのか自分でもわからなくなっていた。それでも律儀に占いとやらを信じ、気持ちをギリギリ保ちつつ目の前にある問題に対処していく。ただそれだけで日々を消化した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?