第六話
初ライブが終わった後から、里緒ちゃんと頻繁にメールをするようになった。彼氏がいるのでさほど沢山ではないのだが、今までに比べたら凄い進歩には違いない。バンドのこともいつも気にかけ応援してくれている。メールの一通一通が大きな喜びで、気に入った言葉が入っていれば即座に保護をして何度も見返していた。
浮かれたり落ち込んだり、練習したり作曲したり、飲みに行ったり寝ていたり。大学の学生であることなどとうに忘れ、忙しなく過ぎる日々の中永人はまたも肺気胸になり入院することになってしまった。
「あの時に感じた痛みと一緒だ。」確実に穴が空いていると確信し、病院へ向かう。
想像どおり穴は空いていて再発だと思っていたが、前回は右の肺で今回は左の肺だったようだ。これで両方の肺に一度ずつ穴が空いたことになる。
前回は手術せずに自然治癒を選んだが、今回はそうは行かず手術することとなった。万が一左右同時に穴が空いた時のリスクを懸念しての先生の判断だ。手術を受ける為、紹介状を貰い他の病院に移動するように言われる。
森の奥にぽつんとある古い病院で、昔は肺結核の患者を隔離していた病院だそうだ。
「肺のことに関しては専門だから心配しなくても大丈夫だよ。」
先生は笑って明るく紹介してくれたものの、いざ手術と聞かされると不安も大きかった。あげくに元隔離病院だというではないか。「ね?怖いだろ。普通。」
そのことをメールで里緒ちゃんに伝えると、今度は手作りのお守りを作りわざわざ森の奥地までお見舞いに来てくれたのだ。
時間を作り、お守りまで作って自分に会いに来てくれたことに感激し締め付けられた心のせいで危うく胸にもう一つ穴が空く寸前だった。極めて危ない。
会いにきてくれた彼女の顔を見た瞬間には「肺気胸様」への感謝すら覚えていた。
その僅かな感謝の心も術後すぐに痛みとなって消えたのだが、ベットの脇に置いてある里緒ちゃんのお守りと、その中に入っている「手作りしてくれた時間と想い。」彼女の優しさだけが痛み止めだった。
熱や痛みも落ち着き、手術の成功と感謝の想いを手紙に綴るように丁寧な言葉でメールへ打ち込む。
退院後、二人は今まで以上に連絡を取り合うようになっていた。出会ったときから既に一目惚れをしていたが、日を追うごとに改めて人を好きになるということを知っていくようで、今では確実に彼女に「恋」をしていた。
無事に退院したものの、苦しくも楽しい長期休暇を過ごした永人にとって、もはや大学とは何の意味も成さない散歩のための「庭」だった。
それでもバイトにはなんとか行っていたが、夕方になるまで寝ていることも多かった。
この頃から、バイトのシフトが入っていない日は毎回水道橋まで通うようになった。里緒ちゃんが東京ドームシティ内のクレープ店で働いていたからだ。空いているベンチを探し、長い時は数時間も彼女の仕事が終わるのを待っていた。
初めて会いに行ったときはサプライズだったので、仕事先から出てきた彼女は出会った日と同じように驚き、あの日と変わらない澄んだ大きな目で永人を見つめていた。
ベンチではいつも本を抱えながら、出来る限り知的に見えるように振る舞った。頭の悪い永人には「外で本を読んでいる人=大人」という認識があり、「家の中で漫画しか読んだことの無い自分は=子供」だ。歳上の彼女に似合うよう、自分を少しでも大人びて見せられるようにと浅はかに考え慣れない読書を続けていた。
そんなことは口が裂けても言えないので、「いつも本読んでるけど永人君読書好きなんだねー。」と聞かれると、「特別好きなわけではないんだけど、まぁ作詞の勉強で少しだけね。」と、本の内容や作家の話に触れられることのないように返事には気をつけていた。
そんな格好ばかりの「読書」だったのだが、続けていくうちにどんどん好きになっていく自分がいた。この歳になるまで全く本を読まなかったことを後悔するくらいに、手のひらの上に広がって行く世界はどれも新鮮で面白かったのだ。
最終的にはいくら寒くても、雨が降っていても、待っている間の苦痛を感じない程読書に夢中になっていた。
大好きな里緒ちゃんを待ち大好きなタバコの煙を吐き出しながら、その奥でぼんやり揺らめく小さな世界を眺める時間はとても幸せなものだった。
仕事が終わるとそのままベンチに並んで座り、時間が許す限り話をしていた。読んでいる本のこともいつのまにか話せるようになった。「付き合いたい!」という気持ちはもちろんあったけれど、年齢も違いオシャレで上品な彼女と、出会った日と同じで中学から着ているツートーンカラーのダウンジャケット一張羅で会いにくるこんな若造とでは、自分で考えてみてもわかる程に不釣り合いだった。
時間を割いてくれる優しさ、彼女の世界の片隅に存在できている感覚、この日々の繰り返しだけで十分満足できていたのだ。
ショップの電気がポツポツと消えていき、段々と薄暗くなっていく空間では街灯の明かりが妙に心地よく、永人はいつも「この場所が今、世界一素敵な場所なんじゃないかな。」と心底思っていた。
自分に興味を持って欲しくて必死だったことは確かで、彼氏の元に帰っていく姿を見るのはもちろん寂しくも感じたが、それを凌駕する幸福感と余韻のおかげで寂しささえどこか特別で、美しい感情だと感じている。
お互いを少しずつ知っていく。たったそれだけのことがこんなにも嬉しく感じるのだ。今まで体験したことも考えたことも無かった。
彼女を見送った後は必ず一服してから電車に乗っていた。最高な時間の締めくくりに吸うタバコは格別だ。
ぼんやりとだがトーンの落ちた夜景と煙が混ざっていく光景が、今でも好きだ。
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