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第五話

 バンドの空気感、慣れない作曲、肺の穴、田舎に居た頃とは全く違う音楽の環境、精神的にも肉体的にも不安定な日々を送っていた永人にとって唯一の救いは、1ヶ月に一度程のペースであるが里緒ちゃんとのメールが続いていたことだった。大した内容ではなく、永人が一方的に近況報告をするとそれに対して律儀に返事を返してくれていただけなのだが、返事があること自体が毎回悶える程嬉しかった。
 悶々と過ごす日々の中ではあったが、遂に都内で初めてのライブが決まったのでダメ元で里緒ちゃんへメールを送った。
「前々からメールでお話していたバンドが初めてライブをします。場所は吉祥寺です。良ければ観に来て頂けると嬉しいです。」
 出会いから1年近く経ち、一度も会っていないばかりか毎度勝手に近況報告してくるクソガキの誘いで足を運んでくれるとは到底思えなかったが、律儀な彼女の性格と新年のメール送信で起こった奇跡の成功体験が微かな期待を持たせてくれていた。
「まぁ、奇跡なんてそんなに簡単に何度もは訪れまい。」思いながらも行動はしてしまうところが自分でもよく理解できない。
 そして、返ってきた返事はまたしても想像を遥かに超えていたのだった。
「誘ってくれてありがとう。いつも頑張っているね。仕事の休みが合えばせっかくなので応援に行かせてもらいますね。」
 まさかの奇跡側の内容だった。まるで夢でもみているのかと錯覚さえ覚えるその画面を見つめ、「もしここが夢の中ならバク宙できるかもしれない。」と訳のわからないことを考えている。何が何だかさっぱりわからなくなってしまった。

 連絡から1ヶ月程経ち本番まで1週間を切った。ライブ前最後の日曜日、永人はいつもどおりマスターとママがいる居酒屋で一人酒を飲んでいる。日曜日ということもあり早い時間からカウンターがお客さんで埋まり、あまり二人とは会話せず淡々と飲んでいるところへ1通のメールが届く。
「こんばんは。里緒です。永人君元気ですか?ライブ次の土曜日だったね?応援しに行くね。楽しみにしてる!」
 右手で携帯を開きながら、左手に持っていたビールグラスを即座にカウンターの上に置き両手を使い光速で返事を書いていた。
「覚えていてくれてありがとうございます!当日会えるの楽しみにしてますね!気をつけて来てください!」
 携帯を閉じ、置いてあったビールを飲み干した。すぐママに日本酒を頼み、一人で吐くまで飲んだ。

 一晩中具合が悪く、浅い眠りにはつくも喉が乾きすぐ目が覚めてしまう。そうして起きる度に携帯を開きメールを見返した。「本当に里緒ちゃんが来てくれるんだ。また会えるんだ。」それを確かめると気持ち悪さが和らぐ気がした。

 ライブ当日になってもまだ現実を受け入れることはできておらず、「人生ってこんなにも不思議なことが次々と起こるもんなのかなぁ。」タバコの煙を吐き出しながら虚ろに街を見つめ一人呟く。煙越しの景色のように気持ち全てが曖昧で、不安定で、「やっぱりここは夢の中なのかもしれない。」そんな風に考えていた。
 携帯が震える。
「差し入れを永人君に渡したくて早めに駅に着きました。準備で忙しかったり迷惑だったかな?とりあえず向ってみますね。」
 里緒ちゃんからのメールだった。彼女との再会、初めてのライブ、予想もしていなかった初めての差し入れ。
「・・・差し入れ?」「そんなものが東京の文化にはあるのか?」
 バレンタインのチョコすら貰ったことのなかった永人の思考能力は許容範囲を大幅に越え、訪れた現実にパニックになった。
「迷惑ではないです!今外でタバコを吸っているのでいつでも大丈夫です!」
「タバコを吸う程暇なら迎えに行けよ」と思うのだが返事を返した途端に落ち着きを無くし、すがるようにタバコを吸い続けては嗚咽しながら再会の時をただひたすらに待った。

 あからさまに「待っている」のも格好悪いので、駅とは逆の方向や空を見上げたりしながらさりげなく駅の方に目をやると、偶然角を曲がってきた里緒ちゃんを見つけ軽く手を振って挨拶する。
 という、ベタなストーリーを妄想しながら駅の方へ背中を向けた状態で時間だけを確認し、振り向くベストなタイミングを見計らいながら不自然に過ごしていた。
 しかし、女性の歩幅を計算し導きだした自分なりのそのタイミングは大幅に間違っていたのだった。そもそもデートの経験がない永人ではそんなものを計ることなどできなかったのだろう。
 本人からすれば、タイミングを「曲がり角」に設定していたことが一つ大きな間違いだったようだが、それも見当違いだ。
 里緒ちゃんの優しくて温かい小さな声が背中のすぐ後ろから聞こえる。
「こんにちは。永人君?久しぶりだね。」
「あの時の声だ!」という程耳が覚えていたわけではないのだが、それでもその声にどこか懐かしさを感じた。
 完璧に計り違えた永人は突然訪れた再会の瞬間に驚きタバコの煙で咽せている。

 大抵この世界は上手くできていて、飲んだときの勢いで声を掛けた場合、声はもちろんながら顔もぼんやりとしか覚えていない。永人も実際そうだった。何となく妄想の中で容姿は美化され記憶は薄れていくのだ。鬱陶しい限りである。そしていざ会ってみたところ「えっ?やっぱりめちゃくちゃタイプでした!」なんてことはおそらくない。
 良くて平凡な女性くらいというのが現実であり、この世界だ。
 そのはずだった。
 知っていると思っていた「現実」とは、作り出した想像の中の「現実」だった。それもそのはずで、女性に飲んで声を掛けたのは生まれて初めてだった。イコール再会も初めてだ。
 では何故今までそんな「現実」を想像していたのだろうか。分からん。「そんなもの何処で覚えてきたの!」と母親のように問いたい。
 振り返えると、声の先に立っていた彼女はモコモコとした素材の可愛いらしい帽子をかぶり、茶色をベースにして落ち着きのあるふんわりとした雰囲気でまとめあげた都会のお洒落な女性だった。顔は年齢よりも幼く感じだが、喋り方や所作から歳上の女性ならではの上品さが伝わってくる。
 人生で出会ってきた中で本当に一番素敵だと思える女性がそこにいた。永人はあの時の自分の目と行動を心の中で絶賛した。
「良くやった俺!愛してるぜ、俺!オレッ!」
 本来悲観的な永人が自身を心の底から褒めたのはこれが生まれて初めてではなかろうか。
「そして、ありがとう。あの日のサンタクロース。俺はこの歳でもちゃんと君の存在を信じていたよ!」
 都合のいい時だけ神や仏のことを考える無宗教日本人の筆頭に立った永人は、ぎこちない笑顔で「お久しぶりです!」と笑った。

「今日は一日中大変だろうと思ったから差し入れ持ってきたよ。」
 そう言って笑いながら、里緒ちゃんは見たこともない程巨大な手作りのおにぎりを渡してくれた。コンビニのおにぎりを三つ合体させたくらいの大きさには正直びっくりしたけれど、自分のために作ってくれたという事実と、「大人びてみえるけど少し不器用なのかな?」と思わせるところがまた堪らない可愛さを感じさせた。

 本番前に一口ずつ、大切に口へと運ぶ。
「きっと好きなものを全部入れようと思ったからこうなったんだろうな。」
 場所ごとに代わる代わる現れるネタを噛み締めながら、一生懸命作ってくれている里緒ちゃんの姿を想像しただけで涙が出る程嬉しかった。

 肝心のライブには、修さんとイベンターの方が協力して主催してくれたこともあってお客さんも沢山来ていた。
 初めてステージに立つ永人達をオープニングに使うわけでもなく自らがオープニングを勤め、後輩の門出を皆でお祝いするようステージからお客さんに伝えてくれる修さんは、もはや無宗教を脱した永人の神となる。なるべく多くの人に観てもらえるように6組中5組目に演奏させてくれた。
 しかし、何から何まで最高のスタートの場所を提供してくれたにも関わらず、期待に反してつたない演奏を披露し自己満足しただけのものになっていた。ステージ上から見たお客さん達の表情も、想像以上に演奏スキルがない永人達を前に戸惑っているようにさえ感じるものだった。
 案の定打ち上げでダメ出しのみをされたあげく、修さんからぶん殴られた。里緒ちゃんは「とっても楽しかったよ。また誘ってね。」と言ってくれたし、一緒にイベントに出たバンドの人達はその光景を見てとめに入り
「そこまで悪くなかったぜ!」
「初めてのステージへの想いが感じれて良かったじゃん!」
「修さん!ちょっとやりすぎだよ!」などと言ってくれたが、そんな周りの慰めよりも未熟な自分にも対等で真剣に向き合ってくれる修さんの態度と「優しさ」が嬉しくて泣いた。殴られた傷みなど感じてすらいなかった。

 このことがきっかけで、音楽関係者で初対面なのにいきなり褒めてくる人間が信用できなくなった。酷い時には友人や知らないお客さんに褒められることすら鬱陶しく感じた。本当に俺達のことを考えてくれているならこんな初心者に良かったなんて言うはずがない。ましてや自分自身でも現状に納得なんてしていないのにだ。
 卑屈な永人には、仮にも都内という場所で活躍している人達や沢山のバンドをみているであろうライブハウスの人達が、今の自分達のどこを褒めてくれているのかが理解できなかった。
 ライブを重ねる度「信じられるのは修さんの言葉だけだ」と強く思うようになっていく。

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