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付着.16 少しの利益で大損害

今回は「た」である。

ついにこの日がやってきた。奥田民生さんが「E」という曲で「タバコのうた作るのはOT」と歌っているように、タバコのことを書くのはYTだ。使命感が半端ではない。(YT=本名がたけいゆうとなので。w)

というわけで、今日のテーマは「タバコ」だ。

電子タバコの普及により空前の禁煙ブームが少し緩やかになったが、喫煙者の居場所は減っていく一方である。それはまだいいのだが、電子タバコの移行した人々からも煙たがられる始末だ。(煙だけに。)

昨日の敵は今日の友どころか、昨日の友が今日の敵になる世の中だ。穏やかではない。こっちは「昔の友は、今も友」という大五郎方式で生きたいのに。非常に切ないことである。

タバコのイメージを最も悪くしているのは、誰が言ったのかも知らない「百害あって一利なし」という言葉だろう。

しかし、よく考えて欲しい。我々喫煙者もただのバカではないのだ。本当に100個もの害があり、1つも利益がないのなら吸い続ける訳がない。まず、百害というのがひどく不透明だ。一体百害とはどのような害なのか明細が欲しい。そして、一利なしである。これに関しては想像で言っているとしか思えない。

こちらからすれば少なくとも利はある。土建屋の友人に聞けば、一服の時間をちゃんと取る親方の現場と、禁煙正義で一服の時間を取らない親方の現場では仕事の進み具合が違うという。皆で一服する方が仕事がはかどるのだ。これはわかる。タバコを吸いながらコミュニケーションを取り、リラックスした状態で仕事の話をした方がスムーズに決まってるからだ。

冠婚葬祭の場でも喫煙スペースはとても良い所だ。知らない人とも話ができるし、よくわからん仲間意識が芽生え仲良くなることもある。

コミュニケーション以外の利益をあげるのであれば、病を患った時もそうだ。毎日健康食品を食べ、ヨガなどをして命がけの健康生活を送ってきた人間は「努力したのになぜ…」と、きっとメンタルまでやられるが、喫煙者は「まぁ、好き勝手タバコも吸ってきたし仕方ねぇ」と病への理由と理解を手にすることができる。

もちろん「タバコなんて吸わなきゃ良かった…」と落ち込む人も居るだろうが、因果応報の世界である。いつかは納得する時がくるはずだ。

この段階でもう一利なしと言う決めゼリフは破綻しているので、以後使用には注意が必要になるだろう。迷信と変わらないのだ。

あえて使うのであれば、「少しの利益で大損害。」この方がまだ納得もいく。言葉の出所も、寝タバコをして火事を起こしてしまった人の言葉だろうな。などとぼんやりした想像ができるし、ちゃんと利益君のことも忘れていない所が良い。百害~よりも好感が持てるというものだ。

付き合ってた時はそれなりに楽しい想い出も支えられたこともあるだろに、まるでなかったことにされてしまう恋人たちもこれで救われる二段構えである。少しでも大切に思った人のこと、思ってくれた人のことを忘れてはならないのだ。最後がいくら大損害であろうとも、今の自分を作ってくれたのだから。

話がだいぶ横道にそれたが、タバコのことをそんなに悪く言わないで欲しいというのが本日の願いである。副流煙が悪いと言われているが、マナーさえ守れば非喫煙者にも迷惑はかけないはずだ。

さらに副流煙がそこまで深刻に身体を害すなら、昭和生まれの俺たちは時すでに遅しだ。換気もままならない食卓では祖父も親父もタバコを吸っていたし、彼らは車に乗るさいも窓すら開けなかった。0歳から真っ白な副流煙の中で暮らしてきた俺たちは今でも元気です。

だからと言って全てを認めてくれとは言わないが、もう少し向ける眼差しを柔らかくして欲しい。むしろ税金落としまくりであり、消費税が上がればポスターにまで減税を!等と騒ぎまくる人々に比べれば、タバコの金額が上がってもそこまで文句も言わず従う。か弱い納税者なのである。少しは人々の役にもたっているだろう。

タバコの話しは嫌う人も多いが、人生もまた同じ。悪い方に考えようと思えばいくらでも考えられるのだ。それなら小さくても日々の中、良かったことに目を向けて生きていきたいものである。マイナスな面ばかりに目をやればそれこそ生きること自体が「百害あって一利なし」に見えてしまうだろう。

そんなことはない。大丈夫だ。明日も小さないいことを探して素敵な1日を過ごして欲しいと願っています。

タバコ。好きなんだよ。

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