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第三話

「俺はバカだ。」
 二日酔いの元日、永人は部屋のベットで横になり携帯のメール画面に「新年のあいさつ」を打ち込みながら思う。

 年末年始は実家には帰らず一人で年を越した。昨年の夏休みに一度実家に帰ったのだが、掃除をしないで帰ったためにアパートに戻って来て早々非常事態に襲われたことが原因だ。
 玄関を空けると右手にキッチン、左手にユニットバスの入り口があり、真正面には二帖程度の廊下とも生活スペースともいえない空間があり、そこに一枚扉を挟んだ先がリビング。そんな間取りだったが、リビングへ続く扉を開けて永人は驚愕していた。
 テーブル周辺に置かれたパンやお菓子のゴミの上にはカビやゴキブリが我がもの顏で暮らしており、淀んだ空気が触れそうな重さでどんよりと身体に纏わりついてくる。壁や天井も奴らのいい遊び場と化していて、大型犬も遊べるドックランに負けず劣らずの「ゴッキラン」が完成していた。
 自分の部屋を一瞥し、「とてもではないがここから先へは入れない。いや、入ってはいけない。」そう直感し静かに扉を閉める。キッチンにもゴミなどが放置され、カビ臭く、とてもじゃないが手を付ける気にはなれなかった。

 すぐに家を出ることを決めたのだが、床に置かれた炊飯器が目に入り何故かとても気になった。「まさかこれ、米入ったままだったかな?」と恐る恐る空けた炊飯器には案の定3合くらいの米がそのままになっている。炊かずに米だけ入れてあったのか、特に焦げた様子や固まっている様子はない。保温も切ってある。
 では、どういった理由でここに米が入っているのかと疑問に思いよく見てみると、一粒一粒が動いていた。米ではなく3合のウジ虫達がそこに暮らし始めていたのだった。
「もうここは『家』ではない。」
 炊飯器の蓋をそっと閉めて外に出た。「空が青い。なんて綺麗な空だ。都会は空気がまずいって?そんなこともないさ。外はこんなにも清々しいのに。」
 そんなことを考えながら無表情で足を進めている。向った先は不動産会社だ。

 受付に座っていたおばちゃんに淡々と「ハウスクリーニングの業者を紹介してくれませんか?」と頼むと、「かなり値段が高いから部屋はちゃんと自分で掃除しなさい。」と怒られた。学生街ではこんな相談がよくあるのか「甘えるな」というような厳しい態度だ。
「それどころじゃないんです。あれはもう、そうですね、・・・魔界です。」
 食い下がり何度も説得を重ねたが信じては貰えず、それでも出て行こうとしない永人にとうとうおばちゃんはしびれを切らしたのか呆れた口調でこう言い放った。
「じゃあ私が行って一緒に片付けてあげるから今から来なさい。」
 想像が追いついていないおばちゃんはささっと準備を済ませ、そのまま家まで来てくれることになった。
「まぁ、見てからでも遅くはないし見れば納得してくれるだろう」そう考え、職業『不動産屋のおばちゃん』をパーティーに加えた一行は魔界へと向かう。
「百聞は一見にしかずとは正にこのことか。共に身を以て体感して参ろう。」
 新しい仲間のリアクションを想像しながら、自棄糞になった永人はもう半分面白がっていた。

 アパートの玄関を勢いよく開け「魔界」の様子を目撃したおばちゃんは流石に少しの間絶句しているようだったが、言い出した手前引くことが出来なかったのか深呼吸をしてから「やるよ。」と言った。
「正気ですかい?まだレベル上げもしていないし、装備だってほら、こんな軽装じゃ・・・」と思ったのだが、考えてみれば全く関係のない不動産屋のおばちゃんが見返りを求めず、この無謀な戦いに協力してくれると言ったからには主人公としてもう引き下がることは出来ない。
 二人で行う初めての共同戦線は思いのほか順調に進軍することに成功し、魔界だったその場所も夕方にはなんとか「人」が息の吸えるくらいの「部屋」に戻っていた。
 渾身の感謝を告げると、「もう二度とこんな事にならぬように日々掃除すること!約束だよ!」と釘を刺されたが、自分ですら「もうこんな無益な戦いはしたくない」と心から思っていた。

 あの戦い以降初めての長期休暇が今だ。とてもじゃないが実家に帰る気にはなれなかった。
 ともあれ、一人で迎える新年は静かで妙に落ち着く。天井を見上げ、成果など成したことはないが今まで出来なかったことをやり遂げる決意をしてみたり、変える気がないとわかっているのにも関わらず「今年からは生き方を変えよう」など、年明けは浅はかな決意をするのがこの世の常である。
 このとき永人はそんな決意をした訳でもなく、「ただそうしたいから。」という理由で出来上がった長文を眺め、またも無駄にしてしまった「時間」そのものをぼーっと見つめながらメールの送信ボタンを押していた。里緒ちゃん宛だ。昨日の酔いが残っていたのかもしれないし、実家に帰らず一人で過ごす正月が実は少し寂しかったのかもしれない。
「きっとすぐエラーメッセージが返ってくるに違いない。分かっていたはずだ。」
「俺のゴールはどこだったのだろうか?」
「行き場のない感情を書きなぐっただけで満足か?」
 送信ボタンを押した途端に様々な負の感情に襲われたのだが、なぜだろう。
 エラーメッセージはしばらく経っても返ってこなかった。
 これはこれで意地悪くも感じたが、新年の挨拶で日本中の皆がメールのやりとりをしていて反応が遅くなっているとか、または出会った日に着信拒否設定しておいたアドレスを「もう連絡が来ることもないか」と思い解除したり消去したために、偶然送信出来てしまっているなんて奇跡もありえるのではと微かだがワクワクもしている。

 不思議なことに一日経ってもやはりエラーメッセージは返ってこなかった。LINEとは違い、既読にもならない当時のメールは今の感覚で考えると不安そのものでしかなかったのだが、何度かセンターへ問い合わせをしても何も起こることはなかった。結局送信が出来ているのかどうかも知るすべは無く、返信もないとなるとワクワクなどとうの昔に消え去って、新年早々「自分と一緒に携帯まで壊れてしまったのかもしれない」と一段と憂鬱になった。

 それから二日経ち、「出会った日からやれるだけのことはやった。」という感覚まで芽生え、毎晩友人と飲んだくれていたおかげでメールのことをもう忘れかけていた。
 ベットの下に投げ捨てられていた携帯が震える。「もういい加減飲めないよ。」この誰かからの誘いをどう断ろうか考えつつ寝ぼけ眼でメールBOXを開く。
「明けましておめでとうございます。里緒です。メールありがとう。携帯が止まっていて使えなかったので他にも連絡くれたかな?今年もいい年にしてね!風邪引かないようにね。」
 携帯をベットの上に投げ捨てた永人はリビングで跳びはねていた。
「この歳になってこのリアクションはないな」と後で恥ずかしくなったが、枕を殴ったり投げたりしながら歓喜で暴れていた。フーリガンとはこんな気持ちだったのだろうか。
 暴徒と化した気分を落ち着かせるため、早速一人で飲みに出かけた。風は、冷たくなかった。
 この頃から一人で飲みにいくことが好きになり、小料理屋のような店によく出入りしていた。マスターとママが夫婦でやっているその店には週に1、2回は必ず足を運んでいたと思う。大学にはやはりあまり馴染めなかった永人にとってこの町で初めて見つけた居場所だった。
 新年の挨拶をし、木目のカウンターに並ぶ小さな木の椅子に座るとタバコに火をつけてビールを注文した。カウンターの上にはガラスケースがあり新鮮な魚介類が並んでいる。永人はその中からいつもおすすめのものを刺身にしてもらっていた。
 しかしこの日は刺身を頼まず、普段頼まない煮込みや串揚げなどを注文していた。変わらないママのぶっきらぼうな雰囲気と、口数が少ないマスターが作ってくれるあたたかい料理が心を落ち着かせてくれる。
 ゆっくりと飲みながら、一言ずつ大切に里緒ちゃんへの返事を書いていく。返事をくれた優しさにただ感謝を伝えようと思った。これで十分夢をみれた気がしたし、これ以上は望まない。「本当にありがとう。」心からそう思えた。
 メールを返信し終え、熱燗を頼む。染み渡るアルコールが程よく心地いい。

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