お年玉はどこに、消えた?〜今と将来の幸せを考えて〜
「書けない」と言って書かないのも、それもまた人生なのですが
駄文でもなんでも何か書いて発信するのも、それもまた人生です。
2025年もよろしくお願いいたします。
お年玉をもらえなくなるのは、何歳なのでしょうか。
甥っ子には「二十歳になるまでは」と話しています。
自分の時はどうだったんだろう・・・
払っているのは覚えていても、もらった記憶はあまりない。
きっとそういうものなのでしょう。
さて、お年玉をもらったら、
一旦「お母さんが預かっておく」というご家庭も多いのでは?
ちゃんとデータを取ったわけではないですが、
少なくとも私や私の妻の子供の頃はお母さんが預かって、
そしてその後どうなったかは定かではない、という感じ。
恥ずかしながらわたくし、
「お母さんが預かるもの」ということに
なんの疑念も抱かずに今まで生きてきました。
一方で我が子たちは
「なんでお母さんが預かるんだよ」
「預かってどうするんだよ」
「全部使ったっていいじゃん」
と大器の片鱗を垣間見せています。
疑問を持つ、ということは大変素晴らしい。
さらに
「全部使ったら、将来欲しいものが買えない」という解に満足はしない。
「大丈夫、今、欲しいから」
無敵の回答。
大丈夫!そう、大丈夫(何が)
子どもにお金との付き合いかたを学ばせる本は多くなっていて
「お小遣い帳をつける」だけの昔とは随分違ってきている。
私の周りにそういう本がなかっただけかもしれないけれど。
「お金との付き合いかたを考える」というのは、
結局それも「どう生きるか」に繋がっている。
現代版プロティアン・キャリア論でいうところの「経済資本」だ。
しかもお金を取り巻く環境も変わって、昔のような金利がつかない今、
「どこかに貯めておけば増える」ということはない。
むしろ貯めておけば目減りすることの方が多いかもしれない。
そうした時代において「お母さんに預ける」という選択を強いることは、
自律的キャリア形成とは言えない。
で、じゃあ「貰ったお年玉は全額子どもに渡す」
「子どもに使い方を考えてもらう」という選択ができるかどうか。
渡してしまっても良いような気もしているけれど
私も妻もそういう教育を受けてきていない「預ける一択」派だったので
精神的な囚われから逃れられない。
そう、きっとこれは囚われだ。
囚われている。
そんなことを思いながら、傍で妻と子のやりとりを眺めていると
うまいこと話がまとまったようだ。
お父さんが居なくたって話はまとまる。
そう、それでいいのだ。
母子で話し合ってお互い納得いく形にしていくという経験は
きっと良い未来になるでしょう。
たいそうなタイトルをつけてしまったけれど
大したことのないお話しでしたとさ。
めでたし、めでたし。