トピアリーを眺めている

 ブンゲイファイトクラブ3最終選考作

トピアリーを眺めている

 トピアリーを眺めている。なんらかの動物を模したと思しきトピアリーだ。
 属名・種小名はおろか、それが何科に分類されうる動物かもわからない。哺乳類であるのかすらも定かではないのだから、当然だ。
 しかし、それを構成している植物がなんであるのかは分かる。ツゲ科ツゲ族の常緑低木樹、ボックスウッドだ。葉が硬く、剪定にも強いことから、トピアリーには頻用されている。
 その葉の一つに指を這わせる。クチクラの発達したつややかな表面は指先に心地よく、刈り込まれたその断面はよく砥がれた刃先のように鋭い。ゆっくりと弄んだのち、私はそれを根本からもぎ取った。依然、獣は獣のままの姿を保っている。
 庭園には音楽が流れていた。なにかの管楽器の澄んだ音色が、風に乗って運ばれてくる。シームレスに移行する音階には文脈が灯り、なんらかの理論への恭順と背信がうねりとなって私の鼓膜を揺らす。
 音階と数比との対応を発見したのは、かのピタゴラスだとされている。オクターヴや完全五度を数比により定義し、音楽と周波数を結び付けた。万物は数なり。それが、ピタゴラスおよびその教団の信ずるところであった。
 三平方の定理を発見したのはピタゴラス学派の一人であり、ピタゴラス自身の発見であるか定かでないというのは有名な話であるが、それでもこの定理により任意の二点間の距離を測ることが可能となったことに疑いはないだろう。このようにして、ユークリッド空間には距離が導入される。
 ユークリッド幾何学は、あまりに自明であると見做せる五つの公準を出発点とし、幾何学を高度に論証的なものとした『原論』に端を発する体系である。「任意の一点から他の一点に対して直線を引けること」「すべての直角は互いに等しいこと」そのような当然らしさから始め、ユークリッドは巨大な幾何学を作り上げた。
 そして、点や直線、平面などの用語は、それ以上遡って定義することのできない、公理全体によって定義される無定義用語として位置付けられた。私たちは、ユークリッド幾何学において点とはなにかを説明することをやめ、論理体系を超えた全体による理解として「点」という用語を得たのだ。
 これが、数学に限定された話ではないということを、私たちは知っている。
 これは、論理の全てに適用されうる事実である。
 手元の国語辞典をめくれば、何十万語という言葉がひしめきあって蠢いている。トピアリー。名詞。常緑低木樹を刈り込んで作成される、西洋庭園における造形物。
 常緑低木樹とはなんだろうか。刈り込むとはどのような動作を指しているのだろう。西洋とは。造形とは。それぞれの語は手元の厚い本に見出し語として掲載されている。しかし、その説明にも当然ながら語が用いられており、無限の後退を余儀なくされる。言葉は、言葉で説明されている範囲では全てを定義することができない。
 ヒルベルト。ミュンヒハウゼン。アグリッパ。誰を引いても構わないが、論理についてもそれは同様である。論理に対して言葉によって確実な根拠を与えることは、もとより不可能なものであるのだ。
 一人増えたらしい。管楽器は低音と高音が絡み合うようにして、心地の良い響きを奏でている。音楽が音楽となるのは、複数の音符が連なり、重なり、文脈を成すからである。一つ一つは音楽でないものの集合を、私たちは総体として音楽と捉える。音色はフーリエの手による変換でスペクトルとして分解されて波となり、波は幾何となり、幾何は無定義の用語へと帰還していく。
 言葉もそうだ。言葉は無数の言葉の中に位置づけられて初めて意味合いを持ち、人間はそのスケールの全てを認識できないからこそ、言葉を言葉として使える。網は粗すぎても細かすぎても網として機能せず、スケールバーの特定の領域を共有しているがためにその機能を全うするのだ。
 ゆえに、全ての文章はトピアリーである。
 これだってそうだ。あなたは「トピアリーを眺めている」という文章の持つ意味を理解するためには、トピアリーとしてこの文章を眺めるより他ない。
 千切り取られたボックスウッドの一葉を見つめる。これは、切り出された言葉だ。多細胞生物が細胞の死のサイクルの上に総体として成り立っていること、細胞が小器官の集合であること。それらは遺伝子の発現頻度、神経伝達物質、電子の確率的配置へと遡り。翻って生物は群れを成し、社会となり、惑星となり、宇宙、すべての可能性へと拡散していくこと。
 生命がその認識できるスケールの上でのみ生命として振舞えるように、言葉は総体だからこそ意味を持つ。
 なんらかの動物を模したと思しきトピアリーだ。管楽器が重なり和音となり、メロディを構成し、ゆらめく波の中から特定の成分を掬い上げ、一冊の国語辞典から無限に語を引き直し続け、文脈の灯る万物の中にスケールバーのごく限られた一部として身を横たえながら、近づいてみれば一枚一枚の葉となってしまうボックスウッドを、私は少し離れたところから視界に収める。
「トピアリーを眺めている」
 そのようにして、私はトピアリーを眺めている。

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