青島もうじき

作家。豆乳が好き。著書に『私は命の縷々々々々々』(星海社)、『破壊された遊園地のエスキース』(anon press)、収録アンソロジーに『異常論文』(早川書房)、『大阪SFアンソロジー』(Kaguya Books)など。

青島もうじき

作家。豆乳が好き。著書に『私は命の縷々々々々々』(星海社)、『破壊された遊園地のエスキース』(anon press)、収録アンソロジーに『異常論文』(早川書房)、『大阪SFアンソロジー』(Kaguya Books)など。

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  • 青島の日記

    普段書いている日記のうち、出せるものだけ出すところです。

最近の記事

掌編小説「球戯場表面」

球戯場表面 球戯場の地下の、一切のひかりを欠いた工房には、老いた者から赤子まで、十歳刻みでひとりずつ、つねに途絶えることなく幾人かが幽閉されていた。戯れとは言い条、その実は儀式であるのだという。植物を切りつければ流れる樹脂を、滑らかに磨かれた檜の型へと注ぎ、固める。そうしてできた半球同士を熱して貼り合わせれば、ひとつの球がかたちを成す。人間の拳ほどの球は、手で突くとよく跳ねるのだという。ひかりを多く蓄えた球戯場のざらついた土のうえで、競技者は鍛え上げられた肉体を以って争い、王

    • 宮田眞砂『セント・アグネスの純心 花姉妹の事件簿』感想

      宮田眞砂『セント・アグネスの純心 花姉妹の事件簿』(星海社FICTIONS)をご恵贈いただきました。 ■宮田眞砂『セント・アグネスの純心 花姉妹の事件簿』  宮田の作品は、いつでも信仰に満ちている。同人文化や(『夢の国から目覚めても』)、書物(『ビブリオフィリアの乙女たち』)、それから本作でいえば疑似姉妹がそれにあたるのだろう。なにか人と人とを引き結ぶようなモチーフが中心にあって、それの作り出す慈愛の空間を〈百合〉として丁寧に描いている。  読めばすぐに気付くように、本

      • 日本SF作家クラブ編『SF作家はこう考える』感想

         唐突だが、『SF作家はこう考える』収録の対談記事「SFと科学技術を再考する」の中盤には、以下のような発言がある。  これは「SF作家を目指す人のために(4頁)」書かれた本書のなかで、ひときわ重要な発言であるものと感じた。というのも、その発言は〈SF小説には特有のメディア的な特性がある〉という指摘に他ならないからである。「SFには色んな定義付けができる(74頁・宮本道人)」わけだが、特にSF小説は、前提として言葉によって書かれるものである。すなわち、この一冊で幾度となく形を

        • 2023年の振り返り

          たくさん文章が書けて楽しかったです。文章を書くことはなににも代えがたく楽しいので、来年もたくさん文章を書きたく思っております。 今年は《幽霊:unpurposefulness》をキーワードに制作をしていました。年初には《幽霊》という言葉を「目的とは関係のないところにただ存在するなにか」と定義しておりました。なにかに役立つことを目的として存在させられる、強制力のようなものとはオルタナティブな存在の仕方として《幽霊》というものになることは可能なのか、というような問題意識でした。

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        • 青島の日記
          635本

        記事

          布施琳太郎『涙のカタログ』より「黒より冷たい海のメディア」感想

           水面というインターフェイスについて考えている。インターフェイスと呼ぶからにはそのこちら側とむこう側とに誰かがいるはずで、インターフェイスと呼ぶからには、それは境界で隔てられている。  あるいは、その情報量逓減について。シャノンの定理をあらかじめ知るわたしたちが、沈黙を通してだれかとかかわり続けることについて。そうしたことを、紙面に並べられた言葉を以って考えている。 『涙のカタログ』は、PARCO出版より2023年11月に刊行された布施琳太郎の第一詩集。『現代詩手帖』に寄稿

          布施琳太郎『涙のカタログ』より「黒より冷たい海のメディア」感想

          君島大空『no public sounds』とモアレ

          君島大空の新曲の題にはチベット文字が使われている、と書くと困惑を呼びそうに思われるが、以下をご覧いただければ諒解されるように思う。 環境によってはうまく表示されていない可能性もあるので、字形を説明する。問題のチベット文字は、「=」の全体を波打たせ、上の線の末端をクモザルの尾のようにくるりと巻いたもので、はやいところ、風を漫画的に表現した際の効果線に似た形状をとっている。顔文字のようなものとして用いられているのだ。 チベット文字は日本国内の産業規格であるJIS水準には含まれ

          君島大空『no public sounds』とモアレ

          掌編「水蜘蛛と門」

          水蜘蛛と門  水門は閉ざされていたので、その周辺には遥かに多くの生物が棲み着いていた。山の頂から程なくして地の裏へ潜る伏流水は、光を必要としない地下性の生物の命を育み、時に奪い、栄養を運び、あるいは朽ちて栄養となった身を運び、そうしてやがて地下水門へと至る。水門は、全ての命の吹き溜まりであった。  元は発電のために設えられたのだという水門は、電気を喰らう者が地上に居なくなって久しく、そのゆえに数千年の時を閉ざされたままに過ごし、数千年の水を受け止め続けていた。骨を持つ生き物

          掌編「水蜘蛛と門」

          5/7~5/13の日記

          発行元のAmazonアカウントが凍結されていたために購入できなくなっていたSF短編集「破壊された遊園地のエスキース」が、凍結の解除に伴って再び読める状態になりました。この機会にぜひ。 青島もうじき『破壊された遊園地のエスキース』(anon press) 以下、日記 5月7日 幽霊文字や架空の漢字にもなぜかおのずと見出される「書き順」があり、そのため、漢字という体系にはすでに人体の進化史的な身体性が反映されているのだともいえる、という話をした。 文字と(音声)言語と身

          5/7~5/13の日記

          フラッシュフィクション「石仏に雨」

          石仏に雨  打ち捨てられた古寺の境内には、茸が群生している。翡翠に耀く苔の隙間より点々と貌を覗かせる子実体は、決して誰かに踏み荒らされることなく生え、やがて朽ちてゆく。決して、縊られることがない。  かつての伽藍には月日の翳が落ち、腐食の後に水を洩るようになっていた。御堂には一尊の石仏が安置されている。その面に彫られた慈悲は雨滴によって削られ、そこにはもはやいかなる表情も読み取ることができない。頭蓋へ滴った水は、渓流に似たなだらかな肩の稜線を伝い、やがて漠とした趺坐の爪先を

          フラッシュフィクション「石仏に雨」

          4/12~4/18の日記

          4月12日 メディア系のひとと話をしていたところ、「ヴィデオ」を「うさぎ」と同じアクセントで発音していた。こういう、馴染みの深い領域についてのアクセントが平板化する現象のことは「専門家アクセント」と呼ぶらしい。ギタリストにとっての「ギター」、実験科学者にとっての「ピペット」、工芸家にとっての「バーナー」。とても美しい現象だと思う。 引き続き、斉藤斎藤『渡辺のわたし』(港の人)を読んでいる。連作「とあるひるね」が非常に良かった。視点を装うという祈りと、けれどそこにはあらかじ

          4/12~4/18の日記

          4/5〜4/11の日記

          * 日記を復活させました。 普段クローズドな場に書き留めているメモの再編集であるので、見かけの割に労力は少ない。 毎週更新を予定している。 * 4月5日 「水は迷路を解くのか(Can water solve a maze?)」という動画を見た。大気圧と表面張力との関係によって流体が迷路を解決してゆく様がパフォーマンス的に示されている。物理法則とアルゴリズムについての動画と言ってもよいかもしれない。粘菌コンピュータなんかもそうだけど、知能と迷路というものはかなり接近した

          4/5〜4/11の日記

          『破壊された遊園地のエスキース』収録作解題

           2023年3月7日、anon pressより第一短編集『破壊された遊園地のエスキース』が刊行されたので自作解題および覚書を書く。本書は現在のところKindle、Kindle Unlimited、anon pressマガジン購読のいずれかで読めます。励みになるので、よければ読んであげてください。 破壊された遊園地のエスキース(anon press)青島もうじき  2021年4月から2023年2月の約2年間のうちに書いた作品群の中から、テクノロジーと人間のディスコミュニケー

          『破壊された遊園地のエスキース』収録作解題

          フラッシュフィクション「三叉路の機械」

          三叉路の機械 三叉路に始まって三叉路に終わる一筆書きの解法は、ごく機械的に導出することができます。ですから、わたしに求められていることは、物語内部に現れる全ての三叉路を北欧の木製家具における角でも削るかのように丁寧に取り除くことでした。  一筆書きが可能であるのは、三叉路――厳密には奇数叉路が皆無であるか二つであるかのいずれかの場合に限定されます。わたしの担当は後者です。起点と終点を結ぶ道筋を確保した後に、あなたの好みそうな瀟洒な小窓のついた家や、古びたトタンの塀、列車のこぼ

          フラッシュフィクション「三叉路の機械」

          2022年 活動の振り返り

          2022年もたくさん文章を扱った。 いざ書き出してみるとすこし文面の圧力が強すぎたので、今年の成果物の振り返りは記事の最後に貼り付けておこうと思う。 今年は様々な企画にお声がけいただいて文章を書く機会が多く、志向するもののために妥協なしに諸々されている方と肩を並べるのは極めて大変ではあったが、そのぶん非常に楽しく活動することができた。わたしは気を抜けばやられるくらいヒリヒリしている場で踊るのが好きだ。来年もたくさん呼んでいただければ嬉しい。 同人誌や企画をいくつか主催でき

          2022年 活動の振り返り

          AI/書/多世界解釈 2022年10月2日の日記

          さいきんになり、midjourneyなどAIによる画像の生成がかなり実用的なレベルで語られるようになってきている。文章はそれと比べるとAIの自動生成に完全に頼ってつくられたものがひとつのまとまった作品として扱えるほどの段階にはないように見えるけれど、それでもAIをツールとして用いる書き手は徐々に増えている。なにか展開が思いつかない時にはAIに試しに書かせてみて、使えそうであればそれを拾ったり、あるいは「それよりはこういう展開のほうが……」と某ファストフード店理論のような仕方で

          AI/書/多世界解釈 2022年10月2日の日記

          実体験を書かない 2022年8月28日の日記

          小説を書いていると「それは実体験をもとにした描写か」と訊ねられることがたまにある。しかし、すくなくともわたしの場合、実体験を直接的にエピソードとして採用して小説とすることは皆無である。むしろ、なんらかの描写をおこなうことからはなるべく距離を置くことを志して小説を書いている。 これは、小説という創作物を「作者によって作られた世界の読者に対する伝達のツール」と捉えることに対して違和感を抱いているからであり、むしろ、伝達という合目的性のうちに作られた作品は、その起点において情報理

          実体験を書かない 2022年8月28日の日記