「サステナブル=ファストファッションを買わない」ではないってこと。
最近、「サステナブル」とか「エコ」という言葉をよく聞く。もっと長く使えるものを買おうという風潮が広まっている。それと同時に、ファストファッションは買わないようにしようという風潮も広まっている。
昔から服が大好きだった私にとって、高校生の時にバングラデシュの縫製工場の事故のことを知りかなりショッキングな気持ちになった。それからファストファッションを買うことに罪悪感を覚えるようになった。学生で自由に使えるお金は少ない、高額な買い物はできない。それでも色んなファッションを楽しみたい。そんな私には手頃に流行りのアイテムをゲットできるのファストファッションはもってこいのはずだが、やっぱりあの事故のことを思い出すと前向きな気持ちで買い物をすることができなかった。つい買ってしまうこともあったが、その度に「ファストファッションはもう買わないようにしよう…」とネガティブな気持ちになることも多かった。
大学生になってから古着に興味を持つようになった。古着屋でたくさんの珍しい服たちの中からお気に入りを見つけるのは、まるで宝探しをしているような気分になれた。その1着との出会いが一期一会だと思うとつい買ってしまう。そして古着はリユースであり、エコである。古着を買うようになって、ファストファッションを買う時のような罪悪感は感じなくなり、ポジティブな気持ちで買い物ができるようになった。
しかし、コロナウイルスの影響でなかなか外出しづらい日々が続き、大好きな古着屋に行く回数もかなり減ってしまった。それでも服が見たい。ショッピングがしたい。私は久しぶりにファストファッションブランドのオンラインショップを開いた。膨大な商品数、幅広いデザイン。いくらスクロールしても商品ページが終わらない。その感じが、古着屋でお店の隅から隅までチェックしてお気に入りの1着を探す時の感覚と似ていて、なんとなく幸せな気分になった。ちょっと良いかなと思った商品をとりあえずカートに入れてみた。満足するまでサイトを見尽くし、カートを見直した。でも購入ボタンをクリックできなかった。あの罪悪感を感じたからだ。
買いたい、でも買ってはいけない気がする。そんなことをしている間にカートに入れたはずの商品がSOLD OUTになって、やっぱり買うべきだったかもと後悔する。そんな終わりのない葛藤をしていた時、私はあることを思い出した。
以前、従姉妹の家に行った時のことだ。私の従姉妹は小学四年生で、いつも同じミニーちゃんのパジャマを着ていた。ある日、彼女のお母さんがH&Mのサイトをチェックしながら「そろそろ新しいパジャマ買おうか?」と彼女に言った。すると彼女は「えー、これお気に入りなのに…」と返した。聞くとそのミニーちゃんのパジャマもH&Mで買ったものらしい。何度も洗濯したせいで色あせていたが、彼女はお気に入りを手放したくないようだった。
私はその光景を思い出して、「サステナブル=ファストファッションを買わない」ということではないと思った。バングラデシュでの事故が起きて、ファストファッションがもたらす悪影響が明らかになった。サステナブルへの意識が広まりはじめ、徐々に各ブランドの服作りの姿勢が変わり始めたが、まだまだ不透明な部分も多い。「モノを買うのは投票と同じだ」と言われるように、消費者自身がブランドや買うものをきちんと選択していくことはとても大切なことだ。しかし、単純に「ファストファッションブランドだから買わない」とか「エシカルファッションブランドだから買う」というのは違うのではないかと思う。
そのブランドがどれだけエシカルな服づくりをしていても、消費者が簡単に捨ててしまっては意味がない。逆にファストファッションでも本当に気に入って大切に着ることができるのであれば買う意味はある。私はその思考が欠けていたのだと気づいた。「ファストファッションを買う」ということだけに罪悪感を感じるばかりで、「どれぐらいその服が欲しいのか」とか「どれだけ長くその服を着続けられるか」ということを深く考えられていなかったのだと気づいた。
情報が溢れる現代、本当に正しい情報を得ることは難しい。そのブランドがどれだけエシカルやサステナブルを謳っていても、それが真実かどうかは分からない。ブランドが服作りに誠実に取り組むことはもちろん重要だが、消費者である私たちが誠実にその服に向き合うこともとても大切ことなのではないだろうか。ファストファッションであれ、古着であれ、同じ熱量を持ってファッションを楽しみたいと誓った、暖かい光が降り注ぐ2021年2月23日の夕暮れ時だった。
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