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下り坂をどうやって受けとめていくか

連休に義実家に行った。
100歳近くになる夫の祖母と、祖母の面倒をみているお義母さんは基本的には仲が良いのだけれど、やはり介護には色々と難しいことも多く、おばあちゃんは、「こんなに良くしてあげたのに、(娘が私のことを)早く死ねばいいと言う」とお義母さんのことをなじる。

お義母さんは早く死ねばいいとなんて言っていないとは思うけれど、おばあちゃんの介護が大変で、家を空けられないのでなかなか旅行にも行けず、たまにはおばあちゃんにショートステイを利用してほしいとこぼしている。けれどおばあちゃんは頑なに嫌がり、旅行なんて私が死んでから行けばいいと言う。

そう言ったやり取りの中で、お義母さんがおばあちゃんにキツく当たってしまう事もあり、おばあちゃんが被害妄想的になっているのかな。色々と難しいなぁと思った。

そんな中で被害妄想について考えた。
私の退職した会社での仕事について振り返ると、働いてきた9年の内の初めの3年くらいは上り調子で、後半の6年くらいは下り調子で低空飛行だった。

初めの3年間はできることが増え、任されることも増え、評価されていった。後半の6年間は、子どもが生まれ、育児との両立がハードすぎて働ける時間がどんどん減っていき、仕事の量も徐々に減らさざるを得ず、正社員として働き続けるのは難しくなり、途中からパートタイムにしてもらった。働き続けられて有難い反面、できることは減り、あの仕事、前だったら私が任されただろうなぁとか、あの人、評価されてるけど私の方が頑張ってたのになぁとか、考えても仕方のないモヤモヤも生まれていった。

そうしてどんどん疑心暗鬼に、被害妄想的になっていくにつれ、周囲から必要とされてないのではないかという想いがなかなか拭えなくなっていった。

でも退職する事になり寄せ書きをもらうと、自分の思い込みはほとんどがいじけた気持ちからきた幻想で、良くも悪くも人は他人のことなどほとんど何も気にしていない事に改めて気づかされる。人は他人のことなど見ていない。それは一般的によく知られている真実で頭では理解していても、人間というのは気づけば自意識過剰になり、一人で被害妄想的になっていくのだなぁと改めて感じた。

この6年の体験は、ある意味では老いのように、下り坂をどうやって受けとめていくかということだったんだろうなぁと思った。
苦しいことが多かったけれど、それを乗り越えて手放せたことで楽になったこと、新たに手に入った豊かさが山ほどあった。他人の評価に惑わされずに自分の内側を見つめていくにつれ、実はそれはただの変化で、下り坂ですらなかったことに気づかされたりと、本当に貴重な体験だった。

あ〜、季節も変わって徐々に衣替えをしはじめると、引越しから半年経って増えてきた物の断捨離やら整理もまたしたいな!

あとなんだか個人的に色々と山づいてるので、一人で山に登りたい気持ちも。

少しずつ冷え込んでいきそうですが、今週も皆さま1週間、ゆるゆる行きましょう〜!

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