しあわせの深堀

親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
子としてどう在りたいのか。
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。

はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪
ここからのお話がますます楽しい親子関係への
何らかの氣づきのきっかけと成ることができたなら幸いです。

家族のしあわせについて前回記事を書いてから
「しあわせ」ってなんだろうと深く考えてしまいました。
みなさんにとってしあわせって何でしょう。

私は、その答えは人の数だけあると思っています。その全てが各々にとっての間違いないもの。

しあわせは感じるものだからです。
どんな状況であれ、どんなささやかなことであれ、傍から見て「それは…」と思うことであったとしても、当人がしあわせだと感じるなら、その人にとって間違いなく幸せなんだと思うのです。

じゃあ私にとってしあわせってなんだろう。そう考えたとき、なんて私は欲張りなんだろうと感じずにはいられませんでした。

命がある。しあわせだ
パートナーがいる。しあわせだ
子どもたちがいる。しあわせだ
遠く離れてはいるけれど
元気にしてくれている親がいる。しあわせだ
兄弟がいる。しあわせだ
姉妹がいる。しあわせだ
甥っ子に姪っ子がいる。しあわせだ
友達がいる。しあわせだ
住む家がある。しあわせだ
明日食べるお米がある。しあわせだ
暖かい洋服もある。しあわせだ
なんの宣伝もしていないのに、
こうして記事を読んでくれる人がいる。
そのうえイイねと言ってくれる人も!。しあわせだ
完璧ではないかもしれないけれど
言論の自由もある。しあわせだ
仕事もある。しあわせだ
……………。

当たり前といえば当たり前のことばかりかもしれない。でも一つ一つを見れば、命はともかくとして、持っていない人は必ずいる。

仕事がない人。家族がいない人。住む家がない人。明日のご飯のない人…。
世界に目を向ければ、言論の自由だって…

それなのについついまだまだ欲をかく。
家事を手伝ってくれない…と言ってしあわせの気持ちを消してしまう。
私の言ってること理解してくれない…と言ってしあわせの気持ちを消してしまう。
ちゃんと家族はそこにいるのに…。

しあわせの根底にあるものは『感謝の気持ち=ありがとう(有難いこと)』

文句や不満を感じられるほど近くにいてくれることは当たり前じゃないことに氣がつけば、こうして文句を言えるのもそばにいてくれているからなんだなってありがたくしあわせなことに思えてくる。

1分間だけ呼吸に集中して深呼吸して目をつぶる。そうすると心にちょっとのゆとりが生まれて、それすらも、ありがたいことなんだと思い出せる。そうするとしあわせがふえる。

そっか。自分の考え方をちょっと緩めればしあわせってふえるのかもしれない。今持っている在るものに感謝ができればしあわせは自然と感じることができる。

わたしの感じるしあわせを私が自分で増やせるように、あなたのしあわせはあなた自身で増やすことができると思うのです。

私には、あなたのしあわせをふやすことはできませんが、しあわせを見つけるきっかけだったり影響をプレゼントすることができます。人は影響しあって生きていく生き物だから…。

あなただけのしあわせをたくさん見つけてくださいね。


おまけ
しあわせを言葉で考える
『Oxford Languagesの定義
しあわせ
1.【仕合(わ)せ】 《名》まわり合わせ。運。なりゆき。「―が悪い」
2.【仕合(わ)せ・幸せ】 《名・ダナ》運がよいこと。幸運。幸福。「母と―に暮らす」』
ネットでは主にこの2つ。

古い日本の考えだと意味がもうちょっとふえるようです。こじつけかもしれませんが、笑う門には福来るということで、ご愛嬌🥰

しあわせとは…
師匠に逢わせる(人生の師匠との出遭い)
志をあわせる(同志との出遭い)
死あわせ(死と隣り合わせに合るもの)
他にも「し」という読みの漢字を当てはめて見ればその側にしあわせのヒントが隠れていると思うのです。日本語っておもしろい。

最後までお読みいただきありがとうございました。あなた様の「広い意味での子供(のような存在)」としての生き方や「広い意味での親(のような存在)」としての生き方を考えるきっかけになれれば嬉しいです。
ありがとうございました


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