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弱音をはけない社会の作り方

素うどん問題

xで本の引用が一人歩きしてしまい、冷めたうどんが話題になっていた。

時代遅れ、自分の好きなものを食べれば良い、私は〇〇してる、黙ってないで話し合えばいい…と語気強めなコメントと引用が並ぶ。

いや、冷めたうどん、私は食べ続けたから!
7歳と4歳の子どもは、キャラクターが禿げたプラのお皿が気持ち悪いと言ってお子様ハンバーグを食べない。〇〇の店なら陶器を使ってる、と言われるかもしれないが、お子様プレート=気持ち悪いのイメージがついてしまっているから覆すのは困難で、大人用を注文する。
しかし4歳の娘はさすがに全部は食べきれないし、2人のフォローしつつ1歳の次男に抱っこで素うどん食べさせながら自分の注文までして食べるのは、物理的に無理。ベビーチェアに座らせればいいと?はい、大人しく座ってくれたらね。
そのうち4歳の娘がトイレと言い始める。1歳児を連れて、娘をトイレに連れていく。戻ると7歳の長男がいない。入り口のキャラクターグッズを見に行って動かない。食事が途中の娘まで参戦してしまう。これは騒ぐ前に出る必要があるな。
食べ残しのハンバーグを断念して、うどんの残りを流し込んで店をでる。
車に乗せて家に着くと、娘が、なんかお腹すいたなーと言う始末…

自分の好きなものを食べればいいのに!
この当たり前の助言を前に、それができない自分に落ち込む。両親や夫と話し合っても譲歩されない自分は愛されていないんだろうとか、みんな当たり前にやっているのに自分だけできないのかな、と思っていた。
ファミレスの食事に限らず、日常のすべてにおいて追われ続けた。

いまさら言っても仕方ないけど言わないと変わらない

食べたいけど食べられない、と思うと苦しいから、そのうち食べたいと感じなくなって、胃も受け付けなくなって、高齢の母が天丼とお蕎麦を食べるのに、ざる蕎麦しか食べられない自分がいる。いつか食べられるようになる、ではなく、その時、温かいものを食べたかったなと、ふと思う。

いまさら理解してほしいわけじゃないし、愚痴でもない。ただ、母親が生きやすい社会になったら良いなーと願っているだけ。
まずは母親の困難の理由がどこにあり、何が必要なのか、対話することから始めたい。

多数の声に難しい子育てしてる母親はますます黙るしかない、と感じた。
#母親になって後悔してるといえたなら  
本のメッセージが必要な方に、届くといいなと思う。