失敗の話
ようやく3本目を書きます。
遅筆ですね。
自覚してます。
今日は少し砕けた書き方をしてみようと思います。
何事もお試しです。
さて、本題に入りましょう。
失敗についてです。
生きていれば何かと経験しますが、中々のダメージを喰らう経験のひとつが失敗じゃないかと思います。
何年も前の失敗が蘇ってきて、その都度自己嫌悪するくらいダメージくらいます。
初めて書いたnoteにも似たことを書いています。
とにかくどうしようもなく自己嫌悪が止まらなくなります。あと反省会。
終わってしまったことを振り返ってはタラレバを並べてしまう。
失敗をすること自体は悪いことではないと思ってはいます。
それを元に学ぶことや自分に足りなかったことを知ることが出来る。
裏を返せば成長の為に必要だとも思います。
少し逸れますが、失敗についての話を書こうと思った経緯があります。
少し前に大きな失敗をしました。
規模感は人生規模の。
そして、自分の無知さを痛感して色々とズタボロでした。
こんな失敗は初めてでした。
だからこれを書こうと思ったんです。
ずっと反省する部分を探しては考え、昇華してます。
その出来事は嫌な記憶として残りました。
だけど、嫌な記憶を嫌な記憶として蓋をするのも違う気がして定期的に思い出して反芻し、自己嫌悪しながらもやり方を模索しています。
今までにも沢山失敗しました。
穴に入りたくなるレベルのものからすごくくだらないレベルのものまで。
失敗をプラス変換することは、結構難しいと個人的には思っています。それくらい心の体力を消費することだと思っているので。
人それぞれの失敗の価値観みたいなものはあると思います。
すごく軽くとらえられて、次に活かそうとなれる人。
逆に重くとらえてすごく凹んでしまう人。
どちらでもいい。人それぞれの価値観です。
だからそれくらいで何で凹むのとか、クヨクヨするなとか無闇矢鱈に言われれば言われるほど落ちちゃうんですよ。
人を観察して声をかけられる人になりたいですね。
願望が出てしまいました。失礼。
言葉は毛布にも刃物にもなります。
前回も似たことを述べた気がしますが。
失敗を責めるより、フォローする方が得なこといっぱいな気がします。
トゲトゲした言葉よりも、ある程度角が取れてる言葉の方が人間素直に受け取ります。きっと。
失敗の話をしていたのにまた言葉の話をしてしまいました。
文章をまとめるのやはり難しい。
そもそも下書きもせず書いてるのも問題なのですがね。
その時に考えたことをそのままここで昇華させてます。
出来たてホヤホヤの思考の羅列です。
いつもより多くなりました。
とっ散らかる前に終わりにします。
失敗は成功の素です。
書くことの練習 その3