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冒頭で出会うVol.21_文通アプリ
蒼ヰさんへ
はじめまして
お返事ありがとうございます。
プロフィールを読ませて頂きましたが、色々な経験をされているようですね。
私も今までに色々な経験をしましたが、それはおいおいお伝えするとしまして…
韓国人の(元)奥様と現在の奥様とはどうやって知り合われたのですか?
もし、差支えなければで構いませんよ。
- - - - -
Yukidarumaさんへ。
(以下、Yukiさんでよろしいでしょうか?)
お手紙ありがとう!
おお!スウェーデンに移住ですか!
なんだか、Yukiさんの文章を読んでいて、やっぱり、若干、日本語に飢えた感じが見受けられます。^ ^
なんだか海外にいるとそうなりますよね。
新聞でも、なんでも日本語の文字が読みたい、日本語で書かれたチラシでも漢字にひらがなに触れたい、みたいな。
中国に、四年、イタリアに一年いて、それ。わかる気がします。
^ ^
ぼくの女性関係は、まぁ、色々あります。
とくに前妻のことの真実は「娘」がいるので、真実が露呈しちゃうと娘に失礼かなと思いますが。
いまのところは会う機会がないので(もちろん会うべく努力をしているわけですが)、ペンパルなので話しちゃいますと、
当時はぼくは北京に住む中国人の彼女の家にヒモで住んでいたわけです。
ピンプですね。
彼女は北京の社会科学学院の大学院まで行って挫折したのかな。ロシア文学だかロシア語語学だかで、ま、ロシア圏崩壊しちゃいましたからね。就職先はないですよね。
2005年の時に僕が27かな。彼女が32くらいだったんじゃないかな。
それで彼女は英語を使って北京のツアーコンダクターをやっていたわけです。
知り合ったきっかけは、その前に僕が中国映画が好きで、大学で演劇をしていて学費未納で田舎の群馬に帰ってきたところ。劇団が借金で崩壊して、築地の市場で肉体労働で返済して、鬱になっちゃって、それで実家に戻った。最初は寝たきりだったけど、祖父に誘われ地元のオートレースやらパチンコとかしてましたね。
ある日実家に電話がかかってきてそれが劇場でのバイト仲間だった大塚くんという子で、
「蒼ヰさん、中国映画好きでしたよね。卒業旅行なんですが、行きます?」
「いくらなのよ?」
「北京、西安、上海の鉄道の旅三週間です。HISで15万。」
「お!昨日ちょうどパチンコで大連荘でさ、ちょうど15万かったところ」
と言うことで、中国旅行で知り合った北京の日本語のツアコンの王さんに、西安への列車に乗るときに
「わたしの友人で石さんという女性がいるんだけど、彼女さ、日本人と付き合いたいっていってるんだ、。まずは英語からなんだけどよければ彼女とメル友になってくれないかな?」
大塚くんは首を横に振って(笑)結局、そのメモ紙は僕の手に。
それからですね。
メールで親しくなって、
そこからはぼくが何度か北京に滞在して最後は彼女の家に転がり込んだ。
そのうちに、石さんに
「中国語をちゃんと覚えなさいよ」
最初は石さん、彼女が住む宿舎に学校の後輩の18歳の女の子連れてきて、それが家庭教師だったんですが、ぼくは不真面目だし彼女も上手く教えられるわけないですよね。うつ病のぼくはやる気なしで彼女はただバイト代が欲しいだけ。
だんだんいちゃつき始めて、中国語なんかまったく上達しない。
結局、語学学校に行かされました。
すると、びっくりしたことに、みるみると北京語が身についたんです。
半年もしないうちに日常会話ができるようになってその後は、その地球村語言学校ていう学校の、中国語で日本語を教える日本語教師になってました。授業を受ける人数は8人〜10人程度の小さな規模のクラスでしたけど、離席率が低くて表彰されたことあった。
ちなみに、誰にも言ってませんが僕が語学が上達したのは、僕の中国語の初級、中級、と教えてくれた王老師に恋心があったんだと思います。
恋って力がありますね。^ ^
当時は王老師は
「私、デブが好きなのよ。中国人は、見た目じゃなくて、そういうところで見るわけ」
みたいにね。言われて、あそうなんだ。王老師は僕に北京大学の哲学の卒論とかの翻訳バイトくれたりね。王老師の当時の彼氏が瀬尾さんていう日本人で翻訳業やってたんです。会ったことないですけどその人もデブだって。言ってました。笑。
中国語で「デブ」って「パンズ」「胖子」っていうんですが日本語のように軽蔑の意味合いはそれほどないです。
「おデブちゃん」みたいなニュアンスですね。
その語言学校の同級生に、奥さんになる人がいて、韓国人でした。
なんだか当時は、心では、「王老師」あとだれにも言えなかったけれど受付の事務の「芦」さんに恋焦がれていて。芦さんとはグループデートをしたり彼女の宿舎に遊びに行ったりしてました。最後に想いを伝えたのは芦さんでしたね。
「私を馬鹿にしてるの?ちゃんと韓国人の彼女がいるじゃないの!」
ってもう僕はその語学学校の日本語教師でやっていたし、割と周りに僕の彼女として前妻が周知されてしまってて。
僕も前妻(李さん)が嫌いじゃなく、好きなんです。
そういう男性(もちろん女性だって)いますよね。
そもそも結婚に不向きな人、結婚という制度に向かない人(笑)。
それから現地法人の上海ヤクルトに入社して南京支店の副支店長になっても中国と中国人が好きでしたね。
だからと言って前妻がいやだったというわけじゃないんですけど。
娘は特別でした。今でもそれは変わりません。
イタリアでは色々女性を見ました。
出会ったなかでウディネ大学の舞踏科のダンサーの卵がぼくの心が惹かれました。
ペルーの子でした。
あと、顔で、ポーランド系とデンマーク系とスロヴェニア系の女性の違いがわかるようになりました。
顎、エラの張り具合です。僕の私見ですが。
イタリア人は中国人も韓国人も日本人もまったく区別がわからなかったみたいですけど。
「チナ?」(中国人か?)ってよく言われました。
ぼくは顔が少し浅黒くて堀が深いのかスリランカ人とかに間違われました。
Yukiさんはなぜまた「若い頃から」国際結婚に憧れを?
読んだ本?見た映画?
よろしければ。
カスタマーサービスというのは行政や自治体のサービスじゃなく、
商品を買った後のテレアポとか、例えば、パソコンやおもちゃを買った後の、カスタマーサービスのことでしょうか?
北欧はとくに学校や役所や病院などの行政サービスは最高品質のような気がしますが。
食べ物は、確かに外国ではあるかもしれませんね。
イタリアは全部美味しかったです!笑。
一生分のおいしいイタリア料理、パスタを食べました。^ ^
蒼ヰ
そそ、僕少し文章書いてます。
確かヘルシンキに在住の人が主催している小さな文芸誌「小手先文学賞」
の第3回「さようなら、鯵さん」蒼ヰ瀬名
が僕の作品です。
原稿用紙4枚(700字程度)です。
お暇な時にでも。どうぞ。
少し返信が遅れて申し訳ありません。
また書きますね!
お手紙、待ってます〜。
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![蒼井瀬名(Aoi sena)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/68835914/profile_ebdb29924df664f9a6b2ac8e7c4e0a69.jpg?width=600&crop=1:1,smart)