タイピング日記050 / ヘヴン / 川上未映子
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四月が終わりかけるある日、ふで箱をあけてみると鉛筆のあいだに立つようにして、小さく折りたたまれた紙が入っていた。
広げて見るとシャープペンシルで、
〈わたしたちは仲間です〉
と書いてあった。うすい筆跡で魚の小骨みたいな字で、そのほかにはなにも書かれていなかった。
僕はとっさに紙をふで箱にもどし、呼吸を整えてしばらくしてからできるだけ自然に見えるように見まわした。いつもとおなじようにクラスメイトたちのふざける声やけたたましいしゃべり声ばかりする、いつもの休み時間だった。僕は気持ちを落ち着かせるために教科書とノートのかどを何度もそろえ、それから時間をかけてゆっくりと鉛筆を削った。そうするうちに三限目を知らせるチャイムが鳴り、がたがたと椅子を動かす音がきこえ、教師がやって来ると授業がはじまった。
手紙はいやがらせ以外には考えらえなかった。しかしどうしていまさら彼らがこんなよくわからないことをするのか、理解できなかった。僕は頭のなかでためいきを月、そしていつもとおなじように暗い気持ちになっていった。
手紙がふで箱に入っていたのは最初だけで、あとは手を入れたときにすぐにわかるように机のなかにテープでとめられて、ぽつぽつと届くようになっていった。僕は手紙を見つけるたびに全身がひやりちけばだち、注意深くあたりを見まわすのだけど、そんな僕の反応を誰かが見ているのではないかという気がした。どんなふうにふるまっていいのかがわからず、言いようのない不安にかられた。
〈きのう雨が降ったとき、なにをしていましたか〉とか〈行ってみたい国はどこですか〉とか、はがきくらいの大きさの紙に質問のような短い文章が書かれてあるだけだった。僕はそれをいつもトイレのなかで読み、捨てるにもどこに捨てるべきかわからないまま仕方なく生徒手帳と紺色のカバーのあいだに隠しておいた。
手紙にかかわるかたちでの変化はなにも見られなかった。
僕はいつものように二ノ宮たちに荷物を運ばされ、あたりまえのように蹴られ、笛で殴られ、走らされたりしていた。そうするうちに手紙は届き、少しずつ文章は長くなっていった。あいかわらず僕の名前も、差出人の名前も書かれてはいなかったけれど、手紙の文字を見ていると、ひょっとしたらこの手紙は二ノ宮たちとまったく関係のないものなんじゃないかと、そんなことをふと思うこともあった。けれどそんな考えは馬鹿げていたし、あれこれ考えをめぐらせるうちにすっかり消えてしまい、気持ちはさらに沈みこんだ。
けれども朝、学校へ来て、手紙があるかどうかをたしかめるのは僕の小さな習慣になっていった。誰もいない朝の教室はしんとして、うっすらと油のにおいがして、そのなかで小さな文字で書かれた文章を読むのはうれしかった。罠かもしれないという気持ちはしっかりとあるのに、どういうわけか不安のなかにもほんの少しだけ安心してもいいような気持ちにさせるなにかがその手紙のなかにはあったのだった。
五月に入ってすぐに届いた手紙には、会いたいです、学校が終わったあと、五時から七時までそこで待っていますと書かれてあった。日づけもあった。耳のなかで心臓の大きく脈うつ音がはっきりときこえ、目をとじても文字が頭にうかんでくるほど、その手紙を読みかえした。簡単な手書きの地図も入っていた。僕は一日のほどんとをその手紙についてどう行動すべきかを考えてすごし、連休のあいだもそのことだけを考えすぎて、頭痛がして食欲がなくなってしまうほどだった。しかし僕が約束の場所にのこのことでかけていったさきには二ノ宮とその取り巻きがいて、いつも以上にひどい目に遭わされるだろうことは疑いようがなく思えた。なにかを期待してやって来た僕を待ちぶせつかまえ、また苛めの新しいたねを見つけ、さらにひどい事態を招いてしまうだろうと僕は思った。
でも僕はそれを無視することができなかった。
当日はなにをしていても落ちつかなかった。
僕は教室で一日じゅう、できるだけ注意深く二ノ宮たちの行動を見ていたけれど、とくべつな変化を感じることはできなかった。そうしていると、おまえなにこっち見てんだよと取り巻きのひとりが上履きを投げてきた。顔にあたって床に落ちた。拾って持ってこいと言われてそのとおりにした。
放課後が近づくにつれて緊張はどんどんとふくらんで気分が悪くなるほどだった。なんとか最後の授業を終えてほとんど走るようにして家にもどった。走りながら僕は本当に行くのか、どうするべきなのかを自分に問いかけ、どれだけ考えてもけっきょくどうすっればいいのかわからなかった。なにをしても間違っているような気がしてたまらなかった。