冒頭で出会うVol.22_LINEの詫び状
コラム【映像に映る自分と、拒否をする難しさ】から小説に改変。
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拝啓、文章作家の師匠へ。
❶前回のzoomでの「文章指南」の録画映像を見て感じたことがあります。
それと、
❷zoomの本来の使い方。にて感じることがありました。
結論から書きますと。
「zoomはやはり時間を区切ってやるべきシステムのものである」
「私的な長丁場(個人の悩み相談、オンライン飲み会)には向いていない」
この二点は、体でつよく感じました。
本日、改めて❶を見ました。とくに自分(ぼく、の言動)を見ていて驚いたことがあります。それは、ぼくはそもそも他人におもねる人間ではない(と少なくともぼくはそう思っていた)のですが、自分という人間はここまで卑屈になって他者に胡麻を擦るのか? それがたとえ作家の師匠であれ「思ってもない要らぬこと」までヘラヘラといってしまうのか? という驚愕にちかい発見がありました。録画映像に映る自分を実際にみて初めて気がついたのです。
noteでのコラムなどの第三者(不特定多数)に向けた記事でぼくは偉そうなことを書いています。
ですが、zoomのなかの事実は、先生の前でヘラヘラと笑ってビクビクしながら顔色を窺っておべんちゃらをいって、胡麻をすっている、売れない芸人のように間が怖くて、すぐにいらぬ話題をふる。そんな道化のようなぼくこそが、この現実世界にある、東京駅の構内であるく、京都の街であるく、現実のぼくなのでしょう。録画された自分とは、つまり、化けの皮を剥いだ本性のぼくとは、まさに自分が軽蔑するようなこんな卑屈な人間だったのだ!太宰治が書いた「人間失格」とはまさに、こういうことなのだ!
この点、先生が言う「小説(登場人物)に他者を取り込む」と言うことが人生で初めて見えました。
前回のzoomでの文章講義では、最初に先生の前でバファリンと風邪薬を見せて「いま風邪気味なんです。これから風邪薬を飲みますね。」と言う、アピールするのが精一杯でした。
それから、zoomの文章講義を、退席する理由と、切りだしかたが見つからぬまま、夜が深けていくにつれて、先生の「本講義」の熱がヒートアップした形でまた、いつもの、「朝までコース」になっていました。
これでは、今までの「鬱の先生の状態」「躁鬱のぼく」とのzoomとなんら変わりません。
また同じく、ぼくが壊れるか、先生が壊れるかして、関係が破綻します。
zoomもそうですが、ラインもそうです。
一般的なSNSにおける「拒否」と言うのは、相当なエネルギーが必要になります。
もしかしたらSNSでなくとも普通の仕事の上下関係や友達関係の会話でもそうかもしれません。
とくに師匠と弟子「徒弟関係」において、弟子から師匠にそれも文章指南の最中に「風邪で体調がキツいんですが」などと言える状況ではない。それが原因で前回から、風邪をこじらせ、50時間は寝たきり状態でした。
上記が❶であります。ですので、下記が❷、
❷zoomというシステム(番組プログラム)はやはり「あらかじめ決められた時間、カリキュラム(構成)を組んでやるべきことかな」とぼくは思いました。
以前から、先生には申しあげておりましたが、深夜に入って0時を過ぎてきますと、一般のうつ病患者は、だんだんと気分が高揚してきます。
「おれは物書きだからいいんだ」、「むしろおれはそれがいいんだ」。というのであればおっしゃってください。
ぼくがそのような生活スタイルに合わせられるように、今後改善、あるいは矯正していかねばなりません。
今までのぼくはできれば、朝に散歩をして、不調の体調ながらも、少しずつでも書いていく。
理想は、サラリーマンのようなことでの積み重ねです。
図書館が、スーパーが空いている時間にぼくも行動しないと、社会から隔絶してしまいます。
ぼくの自分の体の感覚や感想ですが、確かにプロでなくとも、物書き、作家の執筆活動というものは、昼間の社会が寝静まった後、午後10時から(あるいは車も走らなくなった0時くらいから)3時(あるいは朝の5時くらいまで)が最も集中できるかもしれません。
それもぼくの今後の課題です。
ぼくはとくに躁鬱の重度でそこに風邪、一般の病気が入ってくると、一週間、半月をダメにしてしまいます。自分の執筆ペースも守れない人間に、外部からの依頼に答えられるはずがありません。
まとまらない文章ですが、すみません。
ラインでのコミュニケーションやzoomやフェイスブック、スラックなども、今後、焦らずにやっていこうと思います。
まだ風邪をひいておりますの。ですので、しばらく文章指南は、弟子からの提案で心苦しいのですが、お休みさせていただきたく思います。
どうぞ暖かく見守ってくださいませ。
蒼ヰ瀬名
敬具。