恐ろしい発見をしてしまったかも知れない件について語ろうかどうか迷っていること。
今回の小説に出てくる、ゴードン・ライトフットの曲「Sun down」(1974年)。この曲は「五章」「六章」で登場するファミレスの謎のウエイトレスを暗喩している。締切は来年になったので「参考文献に歌詞を載せよう」ということで翻訳をしていた。すると恐ろしい発見があった。いや、その発見はぼくのただの勘違いだったのかもしれない。汗。
第1〜4節のソロパートは一人称
合唱は(三人称? 神の視点?)
この歌「Sundown」の合唱部分が指す「I」=「私」って、「三人称=神の視点」からの「私」に解釈できないですか? え? ぼくが英語が未熟だから? やっぱり英語が分かってないのかなぁ? ぜひどの方か教えてくださいませ。
もちろんこの歌の「You(あなた)」「She(彼女)」は「あなた」であり「彼女」であり、私に忍び寄る「日没」ですよね。
ちなみに、
「sundown」は名詞には「日没」の意味しかない。動詞では「夜間に幻覚を経験する」という意味がある
「sunset」の名詞は幅広い。「日没」「日暮れ」「夕焼け」「晩年」など。 また形容詞としても使われ 「斜陽の」「衰退しつつある」など。
Sundown(1974)の日本語訳(蒼井瀬名の拙訳)と個人的なミニ解釈
ソロパートと合唱パートの境界は巧妙に計算されて隔てられている。ソロパートは〖actually〗実際的な「描写」あるいは〖tangible〗触れることのできるような個人の生々しい「独白」に感じる。合唱パートは(人称・視点の解釈にもよるが)だれかからの「呼びかけ」や「暗示」「メタファー」にも解釈できる。決定的なのはこの曲調である。軽妙に聴こえるのか、哀愁に聴こえるのか、曲を聴くニンゲンそれぞれによる。
第一節:(ソロパート)
彼女がサテンのドレスを着て横たわっているのが見える
告白しないことであなたが生活する部屋で
日没は気をつけた方がいいよ
あなたが私の裏の階段の周りを忍び寄ってくるのを見つけたら
合唱:(三人称? 神の視点?)
日没は気をつけた方がいいよ
あなたが私の裏の階段の周りを忍び寄ってくるのを見つけたら
第二節:(ソロパート)
彼女は船乗りの夢のなかで女王のように見える
いつも彼女は本当のことを言うわけではない
時々それは恥だと思う
私が気分が良くなったとき
痛みを感じないとき
合唱:(三人称? 神の視点?)
時々それは恥だと思う
私が気分が良くなったとき
私が痛みを感じないとき
第三節:(ソロパート)
私は男のあらゆる行動が想像できる
彼女の愛に迷いこんでしまう
それが最初の間違いなんだ
合唱:(三人称? 神の視点?)
日没は気をつけた方がいい
あなたが私の裏の階段の周りを忍び寄っているのを見つけたら
時々それは罪だと思う
私が勝った気分のとき
私がまた負けたとき
(間奏)
第四節:(ソロパート)
彼女が色褪せたジーンズを急いで穿いているのが見える
彼女は深い愛をもった女性だ
私はそれが意地わるく感じるんだ
合唱:(三人称? 神の視点?)
時々それは恥だと思う
私が気分が良くなったとき
私が痛みを感じないとき
日没は気をつけた方がいいよ
あなたが私の裏の階段の周りを忍び寄っているのを見つけたら
日没は気をつけた方がいいよ
あなたが私の裏の階段の周りを忍び寄っているのを見つけたら
時々それは罪だと思う
私が勝った気分のとき
私がまた負けたとき
おまけ
なんども聴いていると、韻の踏み方が恐ろしく感じる。空耳アワー(誤読で別の意味)で解釈してしまう。これは日本人(タモリ倶楽部の影響)だからだろうか?
例)
Sundown(日没)、Sometime(時々)の韻
私が勝った気分のとき
私がまた負けたとき
Sometimes I think its a tin(罪=tinがシーン、sceneに聴こえる)
When I like in winnin'
When I lost in again(また=ゲームで負けたときに)
ほかにもあります。
カナダ人の前でカラオケで歌いたくなるね!
「きみ、すごいじゃん! 」
って、なりそう。
英語(外国語)はカタチや構文じゃないよねー。
これが生きたコミュニケーションだよねー。
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