掌編「新橋文学塾、入塾試験作文」(四枚)
ぼくは女々しい。二十三年前、学生時代に旗揚げした劇団の振付師だった女性ダンサーをぼくはいまだ引きずっている。十二年前の二○一○年、ぼくは彼女がスペインの国際ダンスコンクールで優勝したのをインターネットで知った。さらにそのうえ、他者が認める小説ひとつかけぬいまのぼくは、彼女との現実の差をわすれ、頭のなかで彼女を脱がしその裸体を舐めまわす。
北京の留学時代に知り合った韓国人女性と結婚し娘をもうけた。ぼくは妻の髪を毛がいく本も抜けるほど鷲づかみ、頭つきを喰らわし振りまわした。
「パパがママを殺した! 」泣きながら二歳の娘は韓国語で叫んだ。
いままでぼくは、いい大人四十四になった現在に至るまでいつも、なにかから逃げてきた。目を逸らしてきた。
ぼくが最初に逃げた記憶は家で飼っていた猫の死骸。恐ろしくて直視できなかった。ぼくはウチの猫の死に目を背けた。道路にでた父は生垣の向こうから五歳のぼくを呼んだ。
「ウチの猫だ。車に轢かれたんだ。死んだんだよ。アキノブ! 死体をもやす前にじぶんの目でしっかりとみるんだ。見てやりなさい」
ぼくは怖くて家の布団に包まっていた。
それからのぼくは、ことあるごとに、手に入りそうなものだけに近づき、ずる賢く手に入れる。例えば女。なぜか最も惹かれる女には手がでない。言葉もでない。目が合うだけでおそろしくてふるえて、息が詰まる。が、二番手の、それも、目の色艶がうかがい知れる女にはいきなりぐいと尻にまで手がのびる。最低の男だ。いまここで告白してしまえば、ぼくは先に述べた、ぼくがいまでも自慰のオカズにしている二十三年前のダンサーの友人だった女性と当時、親密な肉体関係をつくっていた。ぼくは彼女の友人を、彼女の代わりに、つまりダッチワイフにしていたのだ。
そういうじぶんを顧みれば、大学の学費未納の除籍処分だって、芝居が、劇団が忙しいの、どうの、と言い訳だった。
ここでぼくは、ぼくが逃げてきた、いままでずっと負け犬だったぼくの原風景を描写する。ぼくが三歳のころの、鮮明な記憶だ。
曽祖父の、骨ばって節くれだったかわいた十本の指が、五歳を満たぬぼくの頭蓋の目の窪みを鳥かごのように、つつむ。十指の鳥かごはぶるぶるふるえていた。
「ぎゃー」
「まだわがんねぇが! 」
「ぎゃー」
尖った小石ばかりが撒かれていて庭は、はしってころぶと柔らかな膝がやぶれて、真っ赤な血があふれ、血がこわく、するどくころべば痛く、いつしか走らなくなった砂利の、妹は母の車でエレクトーンに通いはじめ、ぼくはトタンにかわった蒼い屋根にゴムボールを抛っていつもひとりであそんでいた。
「ぎゃー」
「まだわがんねぇが! 」
いまはもうないが、当時は、子どもはちょっと恐怖をかんじる尖った砂利だらけの庭の真ん中になぜか、竿を立てる立方体の大きな石柱があった。いやそれは、ぼくの記憶ちがいで、こどもの日の鯉のぼりの土台だったかも。ともかく祖母は石の土台に結わえられていた。
「ぎゃー、ぎゃー」
「見るでねぇど」
「まだわがんねぇが! 」
「ぎゃー」
いまでもぼくの夢で祖父は木刀を祖母の頭にふりおとす。
ぼくをなやますこの原風景がいまの女々しいぼくを作ったのか。さだかではない。
暗中模索のなか小説を書きつづけて七年になる。来年は新橋文学塾の新橋典悟先生にぼくのすべてを投げて、じぶんの人生を変えたい。
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