これからのプロットについての話
今日、偶然、思うところのプロットについての邂逅があった。
ぼくは元旦からプロの作家に弟子入りしている。
毎日スパルタで教わっているのだが、師匠は「プロット」を教えてくれない。それは、
「お前にプロットはまだはやい」という意味なのか「プロットというのは作家それぞれにあるのだから自分で探せ」なのかわからない。
そこで今日、ぼくとちょうどおなじキャリア(互いのデビューやジャンルはともかく)の小説家のページがアップされた。
先日、パソコンを買い換えた。前のパソコンが2013年の夏モデル。
それを購入した夏の日、ぼくは小説をかきはじめた。
だから今年でかきはじめて8年半になる。
昔、村上春樹の執筆スピード(ペース)を調べたことがある。
まず村上春樹の生活リズムから。
(ぼくの記憶です、どこかのエッセイより)
4時に起床。
4時〜8時:(主に小説、4時間の執筆)
8時〜10時:軽食、ジョギング10kmか水泳1km。あるいはその両方をやる。
12時〜16時:執筆(小説かエッセイ、翻訳など4時間の執筆)
16時〜17時:夕食、ワイン、音楽、リラックスタイム
18時に就寝。
現代のサラリーマンよりも、職業作家だ。いわゆる昭和の「呑んだくれ作家」「呑んで朝まで執筆」などの古い純文学作家のイメージを払拭したのは村上春樹さんかもしれない。
あるエッセイに村上春樹さんは「多崎つくると彼の巡礼の年」は半年で書きました。といっていた。
ぼくはページ数を日数で割った。
1日きっかり原稿用紙4枚を書いている(脱稿、決定稿の状態の計算で)。
1日4時間を2セットで「多崎つくる〜」(製本状態342頁=原稿用紙換算で×2で400字詰原稿用紙684枚=273600文字)
この量を半年の日数で割ると1日(8時間執筆)の原稿用紙4枚になった。
村上春樹さんは、横へ置いておき、ぼくは上記のふじこさんの記事が、ありがたかったわけである。
同期(ぼくが勝手に修行時代の同期だと思っている)の彼女の「プロットを書いてしまうと、つまらない」ここがもう痛いほどわかる。
ぼくは原稿用紙10枚の作品(このnoteにあるのはすべて)2時間で書いている。七稿までブラッシュアップして終わり。
今日の散歩のとき、それをどうにかせねば、ぼくは将来、中、長編作家になりたい(少なくともいまは)と思っている。プロットは必要である。
だが、ふと、師匠がなぜ、弟子にプロットを教えないのか? が次第に見えてきた。ふじこさんの記事をよみ、やっぱそれぞれ違うんだ。と。
ぼくは次回作のことしか頭にない。
ぼくのいま使える道具を列挙。
⑴いまは掌編レベルの短いものは書ける。
⑵師匠に作劇の一つ「マクガフィン」を教わった。
師匠の一門にはさまざな作家(ライター)がいる。編集者もノンフィクション作家も直木賞作家もいる。経済的な成功は編集系の弟子だが、ぼくの兄弟子は上記のノンフィクション系(日本ノンフィクション大賞)とエンタメ系(直木賞)がいる。
昨日ちょうど、兄弟子の直木賞受賞作を読みおえた。
典型的な、まさに「マクガフィンの教科書」のような作品だった。
いま「竜胆〜」を書いているが、駒は揃いつつある。
⑶登場人物、「男」「女」「少女」それぞれのフェイズ(場面のマクガフィン)、それぞれの1日(時間のマクガフィン)を、それぞれのバックグラウンド(過去のマクガフィン)を埋めていく。
⑷さらに大きな「マクガフィンの箱」のなかに「小さなマクガフィン」をジオラマを配置するようにしていく。
上記の⑴、⑵、⑶、⑷が浮かんだのである。
時間は焦らずに、(先ずは師匠の課題をこなすのを優先にし)じぶんの作品を書いていこうと思った。
いま現在のぼくの腕と技倆では、こういうプロットの方式しかできない。
応募して、次の作品にかかるときにまた、じぶんのプロットを探しながら書き進めるしかないと思った。