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短編「怒羅絵夢」(10枚)


 あれから二十二年が経った。二十二年。ながい歳月だ。

 おれの同級生の当時小学五年生だったしずかちゃんは野比の嫁におさまった。今日も彼女はレジからおれの職場まで走ってくる。

「剛田く〜ん、なつやさいのトマトやきゅうりやなす、それに、レンコンやこねぎやジャガイモ、ニラなんかもだけど、なんでこんなに高いの、とくにレタスなんてもう、ほんっとうに驚いちゃうんだから! それも今日だけじゃないのよ、いつもなの」

 おれが一服するここまでぐちを漏らしにくる。出勤していれば毎日だ。

 おれは彼女の「いつも」ということばが妙に頭に引っかかった。おれは落語の考えオチのように頭をひねった。

 おれは彼女の言った「いつも」は毎日まったくおなじ服を着ていたあの頃のような「いつも」の意味と解釈した。

「しらんね、うちの八百八は、平成の大不況でものの見事に廃業した。おれはいまこのウルトラスーパーマーケットのバックヤードでのバイト従業員でしずかちゃんはパートのレジ業務だ。おれはもうやさいの値を勘定する仕事にはついていないんだぜ」

 おれは昔ながらのガサツぶっきらぼうにこたえた。

 奇妙なことだがしずかちゃんは、おれのガサツでぶっきらぼうの返答で逆に安心を得、機嫌がなおったようだった。

 しずかちゃんは、まるで軽やかないたずら好きの森の妖精のようにおれが動かすフォークリフトにささったパレットに、おれの汚れたハンケチをさしだされる前にぱんぱんとホコリを叩きちょこん腰をおろし、家から持ってきた弁当をひろげ食べはじめた。

 おれの馴染みのガサツな声を聴いたせいなのかわからないが、すっかり機嫌をなおしたしずかちゃんは、かけ値なしに可愛かった。齢も体も二児を産んだ母とは思えないほどつるつるはりと潤っている。うりざね顔のまんなかにある一対の目は十そこいらの無垢な少女のまま。あの頃ロングだった髪は前を短くした外はねのショートボブになっていてそれが逆にいまの彼女をさらに若がえらせている。テレビなどで上っ面にドーランを塗りたくったハニワみたいな十把一絡げで陳列されるゲーノー女どもと比にならない。

 おれは片端のイノシシのようにはしる妙な小回り癖のあるフォークリフトの電動エンジンをとめ自分の弁当をひらいた。

「ココ東洋一の巨大複合商業施設ネリマールには最上階には総鏡ばりの従業員専用食堂があってスカイツリーの展望台とおなじ高さ七十五階にはオールフロア超高級レストラン街が、ホテルと劇場兼複合シネマの下の三十五階にはファストフードがメインだがフードコートが、十三階のスウェーデンの家具屋やなぜか体重計メーカーのショールームのなかにも健康志向食堂がある。みな美味いらしいそうだ。なんならおれだってどういうわけかしらんが一階のフランスのタイヤメーカーがタイヤといっしょに料理店の格付けガイドブックを並べているそれをひらけばネリマールのなかの店のいくつかの店が載っている。ここは全階層全フロアがごちゃごちゃしている。さながら現代建築の熱帯雨林。人生のヒマを惜しみなく潰せる練馬の超高層複合商業ジャングルビルディングがココネリマールだ、ひる飯ならこんな陰気くさい場所なんかよりもっと他に居心地よくてよ… 」

 講釈でもぶとうものなら彼女はまた尾を踏まれた野良ネコのように目を釣りあげて怒る。

 無垢でどこか怯えたまなざしを抱えた彼女は地下十五階の灰色のリノリウムに底のうすいパンプスをベタとつけおれがエンジンをとめたばかりのフォークリフトのイノシシの角にささるパレットに腰をおろしなるべく時間をかけていえから持ってきた弁当食べる。それが彼女の日課だ。

 野比の家で、なつやさいの高騰の話題などの会話ひとつないのだろうか。おれは思った。

「剛田くん、わたし昨日ね、京都にいる骨川くんに電話したの」としずかちゃんは突然そんなことをおれにいってきた。

「え、なんでまた藪からぼうに」

 おれはひどくたじろいだ。嫌な予感がした。

 これまでほとんどすべて野比のエピソードに限って書いていたあの骨川がここ最近しずかちゃんの過去をほじくり返すようなエピソードを小説に発表しはじめていた。

 骨川素捻夫は本名滑川直といった。

 滑川はいま小説家、不治之・不条理というペンネームでとぶ鳥をおとす勢いの国民的人気作家だ。

 おや妙だなと勘づいた読者にここで告白しておこう。

 まずおれは剛田という名ではない。

 そもそも剛田という名は、出版業界もとよりマスメディアでさえ制御できなくなったバケモノをこさえちまった一介の小説家不治之・不条理によってでっちあげられた名だ。

 おれたちは彼女を「しずかちゃん」呼ぶが彼女の本当の名も違う。

 おれは作家という人種を知らないし理解もできない。聞くところによると売れっ子小説家の滑川は作品と世界がごっちゃになっているらしく自分の妻から親類から友人知り合いから全部《しずかさん》と呼んでいるそうだ。滑川もあの事件がきっかけなのかも知れない。おれもあの《世紀の神隠し》事件(今回後述するこのおれが語るはなし)で記憶の一部が欠けてしまい、しずかちゃんの本名を思い出すことができない。

 ともかく神隠しから帰ってきた彼女のその存在には底のないふかい謎があった。

 たとえばひとつ、不治之・不条理なる小説のアイデアのほとんどは、しずかちゃんの記憶からすっかり吸いあげられたものだ。

 読者がこのおれの告白をいつ読んでいるかおれにはわからない。これからおれの口から語られるはなしはたしかに今から二十二年前に起こったことだ。

 二十二年前の夏、東京練馬のとある学校の裏山で男女合わせて五人の少年少女が失踪した。まる一年。ある夏そんな事件があった。

 当時の世間では《世紀の神隠し》といわれた。発見されたとき見つかったおれたちの時間はまったく経過していなかった。と思われていた。二十二年前当時の《世紀の神隠し》練馬区少年少女失踪事件、通称練馬事件はいまでも毎年夏になると、不治之・不条理が書いた小説を原作とし大手既成メディアのひとつが独占的にディティールこそまったく粗悪なアニメーション作品としまるで仔犬に決まった味か味でも刷り込ませるように夏の風物詩で放映されている。

 二十二年前の真夏におれたちが失踪してからまる一年後の二十一年前の真夏に発見されたおれたちはすぐに、まるで北米大陸の砂漠のど真ん中にある米軍秘密基地の特殊地下シェルターのような白や橙や赤や黄や緑や青や紺や紫や黒や銀や黄金色や玉虫色した宇宙服のようなものをまとった白人やさまざまな色合いをした黒人らやモンゴル人やエジプト人やイラン人などばかりがいる特殊な医療専門機関がある場所へと運ばれた。

 それからおれたちはからだの各部位や器官たとえば皮膚やらかみやら体毛やらの老化のぐあいから骨髄の密度、視神経の繊維束の強度、脳内神経のシナプスの信号の感度にいたるまで、ありとあらゆる検査と年齢、知能、精神鑑定を受けた。だが原因はまったくのわからずじまいだった。そこが日本国内だったかどこか海外の秘密基地だったかはこのおれはわからなかったが、終わるとすぐにおれたちは日本の練馬病院へと移送された。

 その五人の少年少女らの《世紀の神隠し》事件は一時、日本中もとより世界中でも話題をさらったが神隠しの原因究明になんの進展もないとわかると世界は、ディズニーに画策され、次いで国内大手出版社によって巻き起された海賊ブームの渦にのまれていった。

 おれたちはそのまま、瞬く間に世界の記憶から忘却の深淵の底へと沈められた。まるで日本を熱狂の渦に陥れたユリ・ゲラーのスプーン曲げブームのように。

 それから後年になっておれたちとともに失踪した五人のうちのひとりしずかちゃんに、なぜか「骨川くん」とよばれる滑川がある日、一冊の本をかいて出版した。

 滑川が不治之・不条理名義で出版したその本は「骨川くん」のおれらを含んだ自叙伝でもなかった。二十二年前におれたちが裏山でやつの手によって失踪したノンフィクション作品でも、あの禍々しい「やつ」を目撃したルポルタージュでもなかった。それはだれがどう読んでも明らかに虚構としかいいようのない、子どもが腹を抱えて笑いころげるギャグ満載の五人の少年少女の日常世界で繰り広げられるSFドタバタ小説だった。もちろん「やつ」をこの目で見たおれは滑川が書いたドタバタSFコメディ小説をどうころんだって笑えるわけがなかった。

 滑川の小説は、若者向けライトノベル文芸雑誌で連載された。すぐに人気に火がついた。

 読者もお分かりのように骨川の小説にいつも野比の横にいる「あのバケモノ」は今からおれの口から語られる話の「やつ」だ。二十二年前におれたちが学校の裏山で目撃した「やつ」をモデルにしていたことだ。

 おっと、この話にも枚数制限があった。

 ここで第一夜は終わりだ。

  第二夜は、語り手は野比に任せよう。

  では第二夜にまた会おう。


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