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じぶんが変わることのむずしさ。

こんにちは、不在着信に対して、反応が薄かったこと。それと深夜1時56分のLINEの「Ready?」(「これは準備できたか?」ということでしょうか?具体的にぼくの「なんの準備か?」よもや「君の体調は大丈夫なのか?」 であるのか? などとひとりで考えあぐねた結果、いま現在の返信に至ったわけですが)への返信について、さらには、「いままさに変化しなければいけない自分と対峙している苦悩」について、これから書きます。


「いままさに変化しなければいけない自分と対峙している苦悩」

レジュメ形式で書きます。

❶まず、なぜ師匠(上司)のLINEに返信ができなかったのか?

❷変わることのむずかしさ。

(養老孟司、渥美清のYouTubeチャンネルから得たもの)

❷-⑴「浦澤明俊」でなく「美月華樹」の弟子であること、その苦悩

(ぼくからみた先輩たち、門下生、脱落者たちの洞察)

❷-⑵伝わらないもどかしさ。


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❶なぜ師匠(上司)のLINEに返信ができなかったのか?

これは❷も絡む複数の要因があります。整理しながら書いていきます。

ぼくはA型です。こう見えて生真面目で実直な人間です。かといって昨年末に三週間をかけて書いた「弟子になるための試験=レジュメ=脳みそのなかにあるすべての言葉を紙に書きだせ」に書いたとおりのいいかげんな、不道徳な、利己主義的な人間でもあります。原稿用紙四百枚を超えるぼくのレジュメのなかには先生も読んだと思いますが「中国旅行がきっかけで付き合い始めたヒモで転がり込んだ中国人の彼女を孕ませ語学学校の日本語教師になって自立して逃げた」だとか「イタリアの料理修行では日本人コックに虐められ、イタリア全土を逃げ回って発狂に追い込まれた」だとか「祖父が祖母を折檻している。四歳児のぼくが目撃している記憶がぼくの原風景だ」とか「24年経っていまだに劇団時代のダンスの振付師に恋焦がれている」「その子はスペインの国際ダンスコンクールに優勝した」「イタリアでは「こきぶりみたいな顔の客が来たぜ」などと客を客と思わぬ人間が福岡でイタリアンリストランテを開業させ成功させている」「京都ので二回目の発狂」「曰くがあった叔母との間で感情が昂った祖父の葬式で嫡孫であるぼくに対し警察を呼ばれ、三度目の閉鎖病棟の強制入院に追い込まれそうになった」これは喪主で元警察官であったぼくの実父もぼくも知っていました。私有地でのぼくが親類の車を破壊したことは民事です。警察は不介入の問題は最初からわかっていました。これはこれからのぼくの小説のテーマになりえますが「農村の無知」です。無知な農民は警察に電話すればなんでも解決してもらえると思い込んでいる。悪い警察官など存在しないと思い込んでいる。それから田舎の無知な警察はぼくを6時間も身柄拘束をして精神病院へと護送したわけです。先生が小説において「性善説」いわゆる水戸黄門を描くスタイルとぼく「性悪説」つまり「人間という生き物は野放図に放っておけばどこまでも悪事を働く」まったく小説のスタイルが違います。中上健次の「路地」ガルシア=マルケスの「族長の秋」「百年の孤独」が好きなのはそういうことです。ぼくは爽快なカタルシスがある水戸黄門をみて楽しむぶんにはいいですが自分から描くことはできません。話が少し脱線しましたが、無知な親族がやった蛮行(警察への通報)これには「衛生法第23条」があります。つまり昔の日本では「家の恥である白痴の子どもを座敷牢から精神病院へと家族が故意に放り込むことを防ぐための法律、その条項」です。それがなければ「白痴で生まれてきてしまった子ども」は家族の都合で精神病院の閉鎖病棟に放り込まれてしまいます。日本には実際にそういう歴史がありました。レプラ、癩病患者らの隔離措置(政策)とおなじです。それがあってぼくは北関東の実家から九州まで逃げてきたわけです。それらについては原稿用紙四百枚のレジュメに書きました。ぼくは昨年末に三週間をかけてあのレジュメを書きあげました。書いているうちに先生のおっしゃるとおり、フラッシュバック、PTSDに悩まされ一週間ほど寝こみました。知恵熱もあると思いますが。ですが年が明けて、先生はひと言「これはレジュメじゃない、自分史だ」とバッサリ切り捨てられました。ぼくは思ったのです。「これが弟子になるということなんだ」新年早々にまさに弟子として身が引き締まる思いでした。是非とも先生のnoteにてレジュメの書き方を記事にしてもらいたく思います。

さて、話は逸れました。

なぜ連絡が遅れたのか?という問題は前回、「拒絶のむずかしさ」のくだりで書いた記憶があります。それも徒弟関係。仕事の上下関係、取引先、同僚、友人、家族、恋人、やはり拒絶とまではいかないにしろ「LINEの返信の内容を考える」、「返信を送信ボタンを押す行為」さらに言えば「未読を開けるのか?」「既読にしてから相手にどれくらい時間を待たせることができるのか?」受信者は非常に悩みます。だからぼくは相手が悩むような時間帯や内容のLINEは安易には送信はしません。「相手が返信しやすい内容のメール」にします。「はい」「いいえ」で答えられる疑問くらいです。ぼくは23年前、劇団を主宰していました。まず制作サイド以外からの劇団員からのメールや電話は怖くて仕方なかった記憶があります。まずそれらの連絡は「劇団にとって不都合なこと」がほとんど100%です。「劇団を辞めたい」「ノルマが無理そうだ」「劇場に折り込みチラシを配ってきたんですけどぼくの折込のやりかたがどうも雑だったらしく向こうの劇団さんからクレームがきました、どうすればいいんでしょうか?」これは笑い話ですが一番困ったのは連絡が途絶えた女優に、本公演二週間前に逃げられました。急遽、外部の役者に代役をお願いしました。当時のぼくのプライベートの電話で、劇団にいい知らせ、有益な知らせはほとんどありませんでした。公演後の打ち上げにて、男優と女優が「わたしたち結婚します」。この意味は「それまでお前ら隠れて何してたんだ?」というツッコミもありますが、「今後、どちらかあるいは両方とも劇団を去る」ことを意味しています。ですからぼくは人生の経験則上、プライベートでは「知らせのないのが良い知らせ」という格言を貫いています。つまりこれは、最初から悪い知らせがきたのであれば「最初からその悪い知らせへの準備ができる」ということです。

それと、単純にぼくがA型ということを自分なりに考えました。A型はいろいろ考え込みます。ひとりで抱えこむことがよくあります。だからぼくは相手がA型の場合はよく「焦らずにやっていこうね」と声をかけるようにしています。それは❷に繋がってくるわけですが、先生の門下生、もとより門下生にならなかった、浦澤明俊の弟子になったはいいものの、挫折した。田舎に帰った。じつはぼくはそちらのほうが百倍も親近感が湧きます。「ぼくもいつそうなるのか」。「明日は我が身」だからです。実際に、先月そうなりました。またなんの「因果」か拾っていただきこのうえなき光栄なこと、それ以上に「ツキ」があったのかな。と思っています。先生の門下生を、先生の話ぶりから見ていますと、みなさんやはり非常に性根が座っている。そう思います。やれと言われたことに結果をだす。出世する。素晴らしい兄弟子(いまのぼくが兄弟子と言える立場かどうかはぼくにもわかりませんが)たちだと思います。ですがぼくが勝手に見る真実とはその成功者たちに隠れた脱落者の影を見てしまいます。「彼らはなぜ脱落したのか?」「なにを抱え込んだのか?」「ひとりで抱え込んだ苦悩を他のだれかに吐き出せなかったのか?」先生から語られない脱落者の闇にいまのぼくを見てしまうのです。これもA型の性かもしれません。


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❷変わることのむずかしさ。

(養老孟司、渥美清のYouTubeチャンネルから得たもの)

先生から仰せつかった「YouTubeチャンネル、美月華樹の大人の嗜み」をA型であるぼくがひとりで抱え込みながら最近YouTubeをよく見るようになりました。これはこれで一本、レポートが書けますが、今回は論点が違うので割愛します。いまの時点でぼくはほとんどノイローゼになっております。「なぜ、ぼくが、サラリーマンよりも芸能人になるようりも難しいYouTuberになる羽目になったのか?」昨晩は他人から見たらお笑い話ですがぼくは真剣に「月15万なり20万円なりをバイトで稼いでその資金で外部ディレクターに美月華樹のチャンネルを任せるのはどうだろう?」と考えておりました。真剣になって悩んでいました。ですがYouTubeにて「渥美清」と「養老孟司」の映像を見てそれは違う。ぼくが間違っている。と気づきました。渥美清はドキュメンタリーでこう述べています。「おれはね、他の仕事もやったんだよ、色々とね。だけどそこからは辞めろ、もう二度とくるなとはさんざんっぱら言われた。けど、この仕事だけなんだよ。この社会で誰に役に立たないおれを必要としてたのは、うちの劇場ならもっといいギャラ出しますよ、こっちはもっと待遇がいいですよ、ってそれで流れ着いた。必要とされてたんだ。この仕事だけは」この渥美清さんの言葉はぼくの心を強く打ちました。ぼくはYouTubeから逃げていた。それはぼく個人の傲慢さであって「師匠に必要とされている、これは社会においてなかなかない幸運なことなんだ」それと養老孟司さんはチャンネルの講演で若者に向けてこう言っています。「みなさん、好きなことやるための一番の近道ってなんだと思います? じつはね好きなことだけをやることなんてこの世にありませんよ。嫌なことを率先してやる。これです。ぼくはね、好きなことだけつまりぼくは医者になりたかった。でもさ、臨床医になって、患者を診るでしょ、自分の専門があっても外来で、風邪から肺炎から色々くるわけですよ、仮病も来るわけ、それも診なくちゃならない。だからぼくは研究医になることに決めたの。みなさんご存知の解剖医ですね。だけど解剖するのに何が必要だかわかります。死体です。死体は、こっちの都合で死んでくれない。笑。元旦でもバレンタインデーでもクリスマスでも構わず死ぬわけです。ぼくは死体がなきゃ仕事ができないから、引き取りに行くわけ、検体に登録している死体を、実際に元旦に行きましたよ。死体を引き取りに。笑。好きで医者になってね、そんなこと、死体を引き取るのが嫌だとかを悩んでらんないんですよ、忙しくって。悩むだけ無駄。ほんとこれ。だから悩むんだったら、死体を引き取りに行って、解剖する。ぼくはそうやってここに立ってるんです。挙句になんでか知らないけど本まで書いて、みなさんの前で講演までしている。笑。これだけだってみなさん、やりたいことだけをやって成功するなんて思えないでしょう」ぼくは目から鱗でした。渥美清の「必要とされるありがたみ、幸せ」と養老孟司の「好きなことだけをやるには嫌いなことを、考えずにやる(考えていられない)」それでもまだ、ぼくが悩んでいるわけです。なぜか?それはぼくが44歳、今年45歳になる、年齢にあるのかもしれません。

核心に入りますが「人間が変わる」ということは「事件」や「凄まじい外部の圧力」でもない限り変わることがありません。性癖や犯罪癖(盗癖や露出癖)などはおそらく変わることがないとぼくは考えます。その点、ぼくの目指す性悪説の小説があるわけですが。そもそも演劇をしていた社会では組織や会社に馴染めない資質(気質)の人間が、あるいは自ら劇団を旗揚げして主宰していたような人間が、徒弟制度の弟子に合うのか?(これは以前書きましたので割愛します)は非常に難問です。「5%の怠け蟻」の寓話は有名ですが、簡単に説明しますが、ある働き蟻の巣。そこにできた5%の怠けありを取り除く。100%の完璧な働き蟻のみの集団になった。だが数日するとその集団のなかに怠ける蟻がで始める。それはまた5%に膨れあがる。それをまた全部とりのぞいて完璧な働き蟻の国家にする。だがまた出来上がって5%の蟻の一部らは、それぞれが歌を歌い始め、酔っぱらい、金を盗み、強姦をする。組織で犯罪を起こしたり、時に国家を転覆させようとまで企てる。5%の蟻。これが作家である先生やぼくです。いや先生は朝日新聞社で記者として組織で働いてらっしゃった。はぐれものという点ではぼくが社会の弾きものになります。社会の不適格者となります。逆に言えば演劇という集団行為にも向かいないぼくは小説を書いてでしか、社会とつながることができないという今の自分の見解です。その孤独癖とまでは言いませんが性癖をもつぼくは「変わる」「自分を変える」美月華樹の弟子に「Change」する。これは非常に難題なのです。これをわかっていただきたく、ぼくはいまパソコンで文字を打っております。どうぞご理解のほど、お願いします。


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いまは、体力がありません。すみませんが下記につきましては、後日改めてまた書きたく思います。

❷-⑴「浦澤明俊」でなく「美月華樹」の弟子であること、その苦悩

(ぼくからみた先輩たち、門下生、脱落者たちの洞察)

❷-⑵伝わらないもどかしさ。


今般はまずレスポンスを優先に、今回の文章を返事として送りました。

昨日は、朝、九州は雪が吹雪きました。ボタゆきの風花のような感じで積もりませんでしたが、寒かったです。今日も寒いです。

お身体お気をつけください。

また、先にいただいた先生からの「800文字文章」と「zoomでのその指南」は、上記の悩みが頭を去らぬためにひとつも手をつけておりません。


次回のYouTube会議まで、一週間ほどゆっくりお休みをいただきたく思います。


どうぞ、温かい目で見守ってくださると幸甚です。


敬具。

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蒼井瀬名(Aoi sena)
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