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え? これが令和のボクシングなの? / 中上健次 VS 村上春樹 & タイラー・ダーデン怒涛の大乱闘スマッシュブラザーズ編!!

お久しぶりです。

ボクシングジムに通い始めてほんの少しだけ型のようなものが身についた。
僕はおデブなので「重量級」だ。体重は「マイク・タイソン」ぐらいある。体型はぶよぶよですが、なにか?
漫画の世代は「ろくでなしブルース」(森田まさのり先生)だ。

で、はじめて、井上尚弥選手の試合を見た。

ボクシングファンに最初に言っておく。
素人の戯言だと思って欲しい。

下の動画(二つ添付しました)。
え? これってテニス(あるいは卓球)の試合? って思った。ボクシングファンに本当に申し訳ないけれど。客席に観客いるの? これじゃあ世界中で地下格闘技(ブレイキングダウンなど)の本気の殴り合いが流行るわな。と思った。

いきなり話は逸れるけど、地下格闘技を世界に知らしめたブラッド・ピットとエドワード・ノートンのダブル主演の映画「ファイトクラブ」。最高の映画です! タイラー・ダーデン! 今でもハリウッド映画でトップに君臨する最強のクセ強キャラですね。まるでドラゴンボールの悟空やワンピースのルフィのような。タイラー・ダーデン(厳密に言うと、極度の不眠症の主人公が幻覚で見る自分の幻影)は僕と同じ疾患患者が見る幻影を巧みに表出させています。ここからはネタバレですが、だから僕は後半の極度の不眠状態が起因した躁状態(幻覚、幻聴、せん妄状態)からの発狂(自分を銃で撃つ)までの疾走感が手に取るようにわかる。デヴィッド・フィンチャー監督の取材力がマジで凄すぎ。笑。(話を戻します)!


2010年3月〜2011年3月は僕はイタリアに滞在していた。ラスト三ヶ月はローマ(事情があってスラム街の中国人華僑との相部屋)に住んでいた。毎週、スタジオオリンピコ(オリンピックサッカースタジアム)でサッカーの伝統の試合「ASローマ」VS「SSラツィオ」戦(日本で言えば巨人対ヤクルト戦)を観戦していた(ちなみにゴールネットの真後ろでたしか7ユーロ(1ユーロは130円)の区画だった。本場イタリアサッカー(いわゆるカルチョ)でも、実際のスタジアムの観客は四割も埋まっていなかった。井上尚弥の試合って観客の動員数どうなんだろうか?
「ネットで見ればいいや」
「テレビでいいや」
「わざわざ高価なチケットを買ってリングまで足を運ばなくても」
みたいな流れがありそうだ。

で、本質的な疑問。

今のボクシングって、ただポイントを取り合うだけ?

僕の身体の内部からアドレナリンがまったく沸かない。

で、僕の世代だ。

下記のユーチューブは世界の世紀の大番狂せの一戦。
マイク・タイソン対イベンダー・ホリーフィルド戦。
下馬評では、マイク・タイソンの圧勝の予想だった。
(1996年の試合で再生数が1億越え! )

滾る、闘争心! 手に汗握る、接近戦(ホリーフィールドの作戦だった)。クリンチ。反則スレスレ? の頭突き(次の再戦でタイソンはホリーフィールドの耳を噛みちぎる事件を起こしている。笑)? ハラハラドキドキ! これぞボクシングだ!

落ち目と言われた王者イベンダー・ホリーフィルドに対して、強姦罪で刑務所に収監されて、全世界が待望でカムバックを果たしたマイク・タイソン!(これもすごい物語だ)マイク・タイソンの圧勝と思われた戦いに、ラストのほうでは観客からは『ホリーフィールド!』の大歓声コールが! これはやばい。全身の毛穴から血の湯気が噴き出してくる。俺もやるぞ! 俺もやれるんだ! 俺だって世界を変えてやるぞ! 少なくともこの映像は僕に勇気を分け与えてくれる。

「これだよ! おれが求めていたのは! この血が滾る、心が揺さぶられる感動なんだよ! 技術どうのじゃないんだよ! 小説だってよ。魂がどう伝わるかだ! 技術の前に、魂を描くんだよ! 」

■注釈
伝える技術がないと何も伝わりません! 誤解なきように。

Z世代が求める小説はおそらく、井上尚弥のように、読者から華麗にポイント(緻密に伏線を張ってそれらすべてをラストの感動へ)を回収していく作家たちが人気なのだろう。控えめに言って、毒にも薬にもならない共感小説だ。

しかし、しかし、ひょっとこどっこい、おかめはちもく、くるりんぱ、なのである。

昭和の書き手も読み手も求める小説は、マイク・タイソンだ。ここで誤解を恐れずに、勇気を振り絞って自分の趣味で言えば、中上健次のような己の生まれ(路地、被差別部落)を、まんま描き出すエグい作家。脳みそや肉体や精神の内部に浸透して魂を揺さぶる中毒小説だ。

これが1960年代の全共闘時代になると、ジョルジュ・バタイユ、ジャン・ジュネ、ランボー、三島由紀夫、大江健三郎なんかはもう、おバカな学生右翼でも左翼でも訳もわからずラリって陶酔する覚醒剤小説になる。笑。


僕は中上健次の「浄徳寺ツアー」が好きだ。下記に法政大学の宮嶋有華さんの論文(PDF)を添付しました。

https://core.ac.uk/download/pdf/223197296.pdf

ここからは僕のうろ覚えだ。
「浄徳寺ツアー」の簡単な話の流れは、「彼」と「添乗員の彼」だったか。その二人が紀伊半島からトレーラーに複数のおばあちゃん達を連れて、お寺参りをする。ラストはなぜかトレーラーは東京のど真ん中の丸の内に消える。

僕が感動したのは、途中で乳房が三つある女性が登場する。いわゆる奇形(異形)の女性だ。その彼女を二人の男が弄ぶのだが、その描写がエグい。素晴らしい! これぞ小説! 小説だからここまで読者にクリンチ(あるいはボディブローやジャブやフックやアッパー)ができるのだ。この描写に文句を言う人がいるけれど、なかなか描けませんよ。少なくとも僕には描けない。そういうリスペクツがある。作家なら自分の好き嫌いだけで作品を判断はしない。安部公房も言っている。小説とは「追体験だ」。

Google検索では「上徳寺ツアー」では上記の記事が一番上に。
悲しすぎた。これは悲しい。日本文学を学ぶ(世界中にちらばる)外国人たちは中上健次を日本語の原文で読んでいる。世界文学の中の日本文学としてだ。

僕は中上健次は大好きだ。何度読み返しても、やはり、新たな発見がある。だからこそ、令和のいまだに海外で評価されるのだと思う。いまだに僕が読んでない作品にもまだまだ惹かれるわけである。

以前、僕は、乳房が三つの女を弄ぶシーンを何度も読み返した。村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の最初の方の「死の世界のシーンの描写」は僕は五十回ほど音読をしたが、それに勝るとも劣らぬほど読み返した。するとどうだ、僕はある時点から、自分の内部にある神話性が生まれてきたのだ。「この犯される異形の女性はもしや、路地神話(中上健次文学)における女神(母神)の暗喩(メタファー)なのではないだろうか? 」と。

日本文学が好きな皆さん。
そろそろ冬です。
今秋のラストに血が滾る読書をぜひどうぞ。



超激ヤバ・おまけ映像(ほとんど自分のための)


今、飛び込んできたニュース。19年ぶりの復帰戦。判定負けでした。



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蒼井瀬名(Aoi sena)
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