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800字日記/20221212mon/156「ヘヴン」川上未映子 / 読書メモ

別の作家の文体を見ようと図書館で手に取った。この作品は2022年のイギリスでブッカー賞の最終候補作だ。ここにぼくの目の節穴を晒そう。
ブンガク的な「謎解き」は下記をどうぞ。

「ヘヴン」が評価を受けたのは、彼女のデビュー作からある「言葉、文字に意味を与え、それに自らが呑み込まれる小説家の業」を物語にうまく暗喩させているからだと思う。ここではそれについて語らない。

物語は、クラスで虐めを受ける斜視である僕は、ある日、机のなかに「私はあなたの仲間です」なる手紙を見つける。それも虐めの一環と怯えたが実はクラスの女子のコジマからで、二人の密かな文通は始まる。僕はさまざまな虐めの地獄めぐりをする。

僕はこの物語は古典的な構造だと感じた。人物はドストエフスキーの「カラマーゾフ兄弟」のパクリじゃないか? と思った。これを「本歌取り」というのであれば納得するが。

「カラマーゾフの兄弟」にアリョーシャ(三男で神父)とイワン(次男で無神論者)が登場するが「ヘヴン」のコジマはアリョーシャ、百瀬はイワン、そんまんま。だと思った。

「ヘヴン」は「虐めを題材(道具)にして感動を売りにした小説」だと思った。この作品に諸手をあげて拍手喝采を送るのはマジョリティ(実際にいじめられたことのない側)だけなんじゃないのか? 疑問が残った。白人至上主義のアカデミー賞のように。

小説は文字による追体験だから例えば「火垂るの墓」は実際に戦争経験した人は読めないという。「はだしのゲン」を読んで活力が湧く(日本政府が間違っていた!)という。

ぼくは中学では虐め三十代で虐められた。読んでいる途中フラッシュバックで吐き気がした。なぜあのときぼくは虐めてしまったのか。なぜあんな虐めに遭ったのか。これもブンガクの力だろうが。

僕(一人称)の悪夢の生活をコジマは手紙(二人称)で支え、虐めと現実(三人称)をつなぐ百瀬が「行動せよ」と突き放す構図は一級品だった。
(800文字)


関係ないけど、昨日作ったごぼうとれんこんのきんぴら。

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蒼井瀬名(Aoi sena)
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