800字日記/20221113sun/127「公園の隣に家を建てることについて」
日記から離れたことを書く。それとぼくは素人だ。大作家ぶってこれを書くわけではない。だからどうか素人の話と思って読んでもらいたい。
「プロの作家さんは好きなことで人生を過ごされて羨ましいです」
人気作家にこういう質問が多数、寄せられるらしい。以前の僕の師匠もおなじ返答だったが、答えはみな口をそろえて下記。
「人生の貴重な時間を執筆に削られている」
「長編の執筆の二年間は記憶がない」
「半年や数年は好きなことはまったくできない」
「執筆の後はまるで浦島太郎状態だ」
とくに書き下ろし長編を上梓する作家は必然のことと思う。なぜなら書きあげない限り収入がない(稿料の前払い制度はあるのかわからんが)のだ。趣味ではなく執筆は労働だと思えば合点がいく。
デビュー前の無名の作家であれば作品がすぐれているか、その問題はない。ミスをしなければ作品は最終選考にのこる。作品がすぐれていて、最優秀賞を獲得するばあいは十年にひとつ現れるかどうかだ。ふつうは「今回のこの中だったらこれがマァよく書けているから」で決まる。
話は戻るが「ミスをしないように書く」これは作業で苦痛だ。
が、実際にこの作業をやって気づいたことがある。
ぼくがした作業は、
物語に必要不可欠なものだけをのこして、筆者の自我がでる部分をすべて削っていく。「自分流は捨て、読者がよみやすく」「読者がどうハラハラドキドキするか」どんどんと自分を捨てる。「登場人物だけの世界をくりひろげる」すると最終的に「小説は筆者のものではない読者のもの」にたどり着く。
これは頭では解ってはいたが大きな収穫だった。
と、ここまでワードに打ち込んで読みなおす。また講釈。うなだれる。ファイルをゴミ箱に持っていく。でもこれも日記かと思い直しUP。レジュメはどうしようか迷う。
夕方、風は暖か、春の陽気、河に鴨が浮く、田んぼ、鴉の群れ、焚き火、犬と赤ん坊を負ぶる女の長い影、夜の公園、窓に人影が、
(797文字)