見出し画像

冒頭で出会うVol.10_東京ドーム

2022年、1月25日。御茶ノ水。19時過ぎ。
開場時間からたっぷり1時間は待たせてあった。東京ドームの収容人数ぎりぎりの五万五千人の観客は、茹だるような熱気で温まっていた。熱気は観客の熱を冷ますようなアナウンスさえかき消している。

「神堂カヲル一周忌、記念ライヴにご来場をいただきまして、まことにありがとうございます。新型ウィルスにともない、各席のみぎとなりは専用の荷物スペースとなっております。お荷物の確保と、お客さま自身の感染予防にお役立てくださいませ、なお、くれぐれも立ちあがったりしないようにお願いもうしあげます。神堂カヲル一周忌、記念ライヴにご来場をいただきまして、まことに……」

巨大アンプが設置された裏の舞台袖で、ぼくらはそれぞれストレッチをしたり、プレイヤーで好みの音楽を聞いていたり、途中にはいるMCや寸劇の練習をしたりしている。「よし」とリーダーがいった。楽屋でひとり、集中を高めていたセージが最後に、輪に加わった。ステージ袖でぼくら四人の手が一点に重なる。

「きょうのおれたち、いや、きょうの観客は、最高だぜ!」

リーダーが四人の手をドームの屋根に突きあげる。四人の手は、巨大アンプがたつ裏の袖で、まるで一輪の華がひらくように弾かれた。ハルがぼくにウィンクをする。ぼくは静かにうなづいて返す。リーダーはリーダーを。ハルはハルを。セージはセージを。ぼくらはそれぞれのぼくらを身にまとって、五万五千人の大歓声が迎えるステージへと走りだした。

一年前のぼくらはアイドルとしてデビューして、あまりに急激に売れすぎてしまっていた。精神的に限界のギリギリ。実生活と価値観と、理解をこえた収入が現実を壊し、14歳の身体は悲鳴をあげ、大人の言葉に脳みそが追いついていかず、それから傷つきやすい多感な心が、まるで北極の氷の下にでも閉じ込められてしまったようだった。北陸の、市民文化会館の搬出用の出入口でそれは起きた。ガードマンに守られながらぼくらはファンの間をすり抜けるようにハイヤーに乗り込んでいく。ぼくはいつもの背の低いブスをチラリとみやる。ゴスロリの服を身に纏った矢部はぼくにいつものファンレターを渡そうと必死に近づいてきた。豚か猪みたいだった。ぼくはそのブスを無視して黒塗りのハイヤーに乗り込もうとした、そのときだった。

「テメェ! 自分をナニサマだと思ってんだよ!」

カヲルの鉄拳がぼくの顔に飛んできた。出口は騒然となった。カヲルはぼくらのグループでは女装系で売っていた。どこの公演でひきあげるときもカヲルはいつも真っ白な顔の化粧は落とさない。その日もゴスロリ系の、白のフリルのワンピにロング丈のきいろのベストで決めていた。髪は肩までのポニーテールだった。そんなカヲルがぼくに馬乗りになってぼくの商売道具の顔を強か殴りつけていた。鉄の味がした。カヲルはぼくらから「ブスの矢部ちゃん」と呼ばれるその子からファンレターを毟り取って、ぼくのポケットにねじ込んだ。カヲルと同郷のハルがキレたカヲルに東北弁で何かをいっていた。ぼくの記憶はそこまでだった。

その翌日、カヲルはホテルの三十七階の窓から飛び降りた。

あれからちょうど一年がたった。

ぼくらは念願の、東京ドームに立つことができた。グループを結成したてのときはカヲルがリーダーだった。けれどある日突然、カヲルはリーダーを降りると言ってヤストにリーダーを任せ、明くる日から女装を始めた。じつはその後日から、ぼくらのグループは、世間で注目を浴び始めたのだった。

よし、いいか。とリーダーがいった。

「リーダー。ちょっと待った」

ハードモヒカンのハルが、ぼくの肩を叩く。ハルが客席の最前列を指さした。あっ、ぼくは息をのんだ。ブスの矢部ちゃんがいた。ネットからリークされたのか、ブスの矢部ちゃんは、今日のぼくの衣装とまったくおなじ服装をしていた。ぼくは一年前に貰った。いや、カヲルにポケットに捩じ込まれたブスの矢部ちゃんのファンレターを握りしめた。それから急いでリーダーと舞台監督をよぶ。「わかった。よし、それで行こう」舞台監督は手筈を整えてくれた。さらに、10分が経過した。

よし、本当に、本番だぜ。とリーダーが舞台裏でさけぶ。楽屋でひとり集中を高めていたセージが最後に加わる。ステージ袖でぼくら四人の手が一点に重なる。ぼくらは五万五千人が沸き立つステージへ走りだした。

大歓声のなか1曲目が終わった。コンサートの選曲は25曲ある。2曲目のこれからだというとき。センターを張るセージが、ぼくにマイクを渡す。温まった会場はどよめいた。メンバーのなかで一番地味なぼくがひとりセンターステージに立ってマイクを持つのは、初めてだった。

「みんな。今日は神堂カヲルの一周忌記念ライブありがとう」

会場は静かだった。

「それで、死んだカヲルの前の日に、ぼくは素敵な人からこのファンレターをもらいました。」

ラブレターをセンターステージのうえに大きく掲げた。

「これ、ぼくらの最高のラブレターなんです。ここで読んでいいですか?」

響めきながらも五万五千人の会場に期待の波がざわめきたってきた。

「頑張って、ください。わたし、ブスだけど。ブスでも大好きです。タッちゃんのこと。ブスでも大好きなんです。タッちゃんと歌があるからわたし、自殺しないです。明日もちゃんと学校にいきます」

そのとき、ドームが停電になったように真っ暗になる。

ぼくにスポットライトが当たる。ぼくはゆっくりとあげていたマイクを最前列の席の中央に向かってさしだす。すると、ドームの周りにある八つのレーザーとスポットライトがブスの矢部ちゃんを、くっきりと闇から浮き彫りにした。

「この子が、ファンレターをぼくにくださった矢部綾香さんです。いえ〜い! まだ生きてんじゃん! 矢部綾香さん。きょうもコンサート楽しんでいってくれよ! カヲルと一緒にオレたちが天下とるまで、矢部綾香ちゃんも絶対に死ぬんじゃねえぜ〜! 」

矢部綾香は、くしゃくしゃにしたハンカチで顔を隠して泣いていた。ぼくはいつもだったらセンターの役割のセージがやる、ライヴ開幕の決め台詞をさけんだ。

「きょうのおれたち、いや、きょうの観客は、最高だぜ!」

「ヤー!」

五万五千人で埋め尽くされた東京ドーム会場が、一斉に、地震のように立ちあがった。

2曲目がはじまった。

- - - - -

書いて感じたこと、

⑴基本に戻りたかった。丁寧にかくこと(今回は字数は考えないで)。

⑵時間の経過。【初出】の処理、伏線の回収。

⑶その代わり改稿なし。

⑷この稿は非常に自分にとって暗喩めいている。いままで純文学で個の内面を描くことに骨を砕いてきたわけだが、前の師匠(プロの作家)と出会い、読者(自分の文章を読者に読んで頂いている)をトコトン意識せよ!と、叩き込まれた。それによっていまは、自分(個)を物語や文体に表にだす芥川賞作品よりも、読者を大事にする直木賞系の作品を読んでいる。視野がぐんと広まった。そういう流れがなかったならば、こういう作品が描く流れにはなかったと思う。自分の新たな地平だった。

⑸自分の殻は、外部から強制的にこじ開けられない限り、なかなか開かないものだ。

⑹後記。実際はコロナの影響で席数を減らしたら2万7千人くらいだろうか。東京ドームの収容人数はコロナ前の満席数である。

いいなと思ったら応援しよう!

蒼井瀬名(Aoi sena)
よろしければサポートおねがいします サポーターにはnoteにて還元をいたします