家族という呪い

昔から父は子供が反抗すると決まって『誰のおかげでメシが食えているんだ』と言っていた。理性を失ったように暴力的になる父の存在が怖いことや、自分が悪いことをしたという罪悪感がほんの少しだけあったためにその言葉を受け入れ悔し涙を流してきた。
『誰のおかげでメシが食えているんだ』という言葉はごもっともである。しかし、その後に続くであろうセリフ『だから父親に従うべきだ』というのは脅迫だ、と親元から離れてみて思うことができた。
それを実感できたのは修士2年の夏。就職先も決まり、来年からは本当の意味で家を離れ、自立することになる。そんなタイミングでの帰省でのことだった。父は親の介護に疲れ、元々の夢であった、マイホーム計画を急ぎ足で進めている。せめて私が就職し安定してからまたは親の介護をしっかり終えてから、考えればいいのにと常々思っておりそれを出来るだけ優しく、かつ論理的に伝えようとしたところ、いつものように理性を失ったように怒り出す。『俺のお金なんだから好きにさせろ』である。65歳でのマイホームである。親も終の住処だと思って計画をしている。娘である私も、近所になるのだからそこでの生活をサポートする心持ちもあり、両親共に死んだあとの処理の覚悟をしていた。そのため、マイホーム計画チームの一員として、自分の意見がある程度考慮されるものだと思っていたが、論理的に話をしていく私に対して、ああ言えばこう言う状態。私の意見を聞き入れることはない。父にとっては『俺の家』なのだから、娘の意見を聞く必要はないと思っているのだろう。冷静に話し合いもできない父を親ではないなと感じ、また父も私を家族の一員と思われていないと痛感した瞬間だった。三時間の話し合いの末、私の心に残ったのは呪いだった。私は、父のおかげで生きていられている娘であり、私の実家だと思っていた所は『父の家』である。そう思うと家にいるのも辛くなり、翌日、予定より早く下宿先へと戻ることにした。下宿先の最寄り駅に着くと、『帰ってきた』という感覚になり、既に下宿先が『私の家』となっていたのだ。

私が本当の意味で『自分のおかげでメシが食える』ようになるまであと9ヶ月。『誰のおかげでメシが食えているんだ』の脅迫を受け、父が敷いたレールの上を走りつづけてきたが、そろそろ終着点である。9ヶ月後、家族という呪いから解放され、自分だけの道を歩いていくことになる。その道が両親の道と交わるかどうかは分からない。が、どうか幸せな人生を。
さようなら。

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