私の希望
1
いくらか「希望」はあるはずだ、
いくらかの希望が。
たとえば、ロープで木を伝うターザンのような、
マッチョな希望が、まだあるかもしれない。
どこかに希望はあるはずだ、
アフリカの「喜望峰」にまで目を向ければーー
もしかして、崖の斜面を滑り落ちている、
手つかずの希望が、まだあるかもしれない。
ーーアルコールが切れて、眠れない夜、
羊を数えたって無駄なのさ。
君には、視点を変える必要がある、
君の中の本当の問題を洗い出すための。
いくらか希望はあるはずだ、
いつでも、いくらかの希望が。
ドラッグで死んだりしない限り、
誰にだって、いくらかの希望が。
2
君の意思がインクの中で溺れている、
シンクに放置された汚れた食器みたいに。
自分の問題を後回しにするために、
君の詩を、その言い訳に使ってはいけない。
路地裏に、本当の「自由」なんてない、
腹周りには、要らない脂肪があるだけ。
時間の重要性に、もっと気を配らなければーー
時間の使用法こそ、人の心を自由にするのだから。
ーー悲しいけど、命には限りがある。
「人は座ったままでも歳を取る」、それが、
「死」の意味ーー有限性が攻撃を仕掛けてくる、
君の前方から、側面から、あるいは後方から。
君は、小さすぎず、または、
大きすぎもしないで、いつでも、
手探りで探すには、ぴったりの場所にいて、
そこには、いくらかの希望があるのだ。
3
自分自身をコントロールするんだ、
たとえば、君の本棚にある本を使ってーー
どんな言葉をも、顕微鏡で調べ上げられれば、
いくらかの希望が見つかるはずだ。
それで、何かしら希望が見つかったら、
君の「信仰」は、ローマ法王にも負けやない。
神のコンセプトを、逆に彼に説いてやれ、
「君の時間」を使って。
ーー他人の主張に振り回されず、
いつでも、自分自身を信じて。
君の前にある鏡に映るその姿を、
疑ったり、怪しんだりしなければ、必ず
ーーいくらか希望はあるはずだ、
いくらかの希望が。
たとえ世界が万華鏡のように疑わしくっても、
いくらかの希望があるはず。
そして、その「希望」の意味とは、
「汝、疑うことなかれ」。