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紙を押さえる文鎮の方が仕事をする


「雨だから」と思ってビーサンをひっかけ、写真を撮りに出かけた。

どこへ行こうか。16時に郵便物の受け取り指定をしてしまったためそれまでに帰らないとならない。iPhoneの電源ボタンを小気味よく押した。13:23。ささっと沿線を歩くことにした。

それならば、と。近場で閉園してしまった遊園地があったのでそこに出向いてみた。好きなミュージックビデオに出てきた場所であり、自分自身も馴染みのある遊園地だった。「夏だし!」「楽しいことがしたい!」と毎年乗り越えてきた私にとっても、おそらくこの世界の人々にとっても、今年の春夏は異常的なことばかりが続いていて。その中で終わりが早まってしまったものもあったと思うし、この遊園地ももしかしたら影響を受けていたのかもしれない。あくまで予想だけれど。

とりあえず、と喜び勇んで早足になる。

いつぶりだ、と。写真撮ろうと思い立った自分の感性に大はしゃぎである。その昔、ひまわりを撮ってコンテストに応募したことがあった。あの時は意味もなくわくわくしたものだった。結果はどうであれ、参加することに意義があるという言葉に似合いの趣味の範疇だったが。

相棒は、NikonのクールピクスS9500。父から譲り受けたものである。写真が好きだと言えば、ガチな方々からやれどこの一眼を使ってるんだと言われるが、私はこの子が大好きなのである。画素数は遥かに一眼には届かないと思うが、ふらりと大阪に住んだ時だって、東北の父の実家に行く時だって。変わらず写真を撮ったものである。元々、その父の実家に出向く時に買ったものでもあった。

淀んだ空、湿っぽい空気感。これをどう切り取ろうかと思うのが、まずドキドキする。いつだって始める今が一番若いと思ってはいるが、この歳になっても褪せないこの好奇心と素直な感動は私の強みだ。それと同時に、感情の揺さぶりに何度も出会う都度堪えきれない激情のようなものを持て余すことがある。作りたい、やり遂げたい、放り投げたくない。

難しいことを吐露したが、単純に何かを作りきると嬉しいし他で抱えていたストレスさえ一緒に昇華してくれるのだ。

兎にも角にもいち早く写真を撮ろう。前置きが長い。長すぎる。

電車に乗り目的地へ。適当に潰した時間は結構経っていて、早く帰らないと郵便物の受け取りに間に合わない。あんな格好いいことを言っておきながら時間の使い方は大概下手くそである。さあ、とケースを外してデジカメのオンボタンを押す。


つかない。


なんでかはわからない。いつもの軽快な音が聞こえない。チャラララン?シャララララン?あれ?充電したっけ?コードをコンセントにさしたのは覚えている。そのコードとカメラ繋いでた?あっ繋いでないな、さては一ミリも充電してないな?

自分のドジさを今日ほど憎んだことはなかった。写真を撮れないカメラなんてこんなの、ただの四角い文鎮にしかならない。いや、カメラは悪くない。私が文鎮になるしかない。

そんな感じでガックリ肩を落として帰路に着く途中。コメダ珈琲店に寄ってやけ食いしてきた大人ノワール。甘いものがしっかり体に染みる。たいして何もしていない一日を終えた文鎮がおおよそ口にしていいものではないカロリー。せめてもとローカロリーを期待して頼んだレモンスカッシュの爽やかなこと。



明日こそはと今文章を打つかたわらで、カメラをしっかり充電している。充電してるよな?フリじゃないぞ?と。何度も振り返ってコンセントと繋がれているかしっかり何度も見てしまう。

ちなみに、件の郵便物の受け取り時間に無事家に着くことなどかなわず、この文鎮は高カロリーを摂取した挙句郵便物も受け取れず帰宅したのである。むしろ文鎮の方が仕事をする、しっかり紙を押さえてくれるだろ、自分も時間を押さえろ、と。上手いこと言ったなってチラチラしてんじゃないぞ、と。

明日こそは文鎮から人になりたい。

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