コマツナ、サク

植物を枯らすことに長けている。わたしはそういう人間だと思ってきた。

大学は幼児教育専攻。1年生の初っ端の授業でマリーゴールドの種が配られた。

花を育てるという課題だった。

植物の成長は子供の成長とイコールするものがあるとかで。

なかなか芽が出ない子もいる、なかなか花が咲かない子もいる、さっさと芽を出して咲く子もいる。

でもどれも正解でもなければ間違いでもなくて、それぞれでいいのよ。

そんな先生の言葉は今もこうしてその時の情景を思い浮かべながら書き綴れるほど記憶にあるのだが、はてさてわたしがもらったマリーゴールドの種のその後の記憶がさっぱりとない。

観察日記は携帯で画像を見ながら書いた記憶はかすかにあるような気がするような…つまるところそういうことなのだと思う。

一人暮らしのときにグリーンのある暮らしに憧れて、手始めにと初心者でも育てやすいパキラに手を出したがその後はご想像通りである。

そんなこんなでお花をいただいた機会以外は育てるとか、お花のある暮らしみたいなものとは縁遠い日々を過ごしていた。



最近子供が学校で育てているという小松菜を収穫して持ってくることが度々ある。

収穫と言っても1束くらいなので、子供が小松菜を洗い、切り、豆腐を切り(しかも三角に)、味噌を溶き。完成までに尋常じゃなく時間のかかった味噌汁はおいしさもひとしお。煮詰まり具合もひとしお。

先日持ち帰って来た小松菜は収穫しそびれたとかでそれはもう「元々何やってた人?」とママ友との会話あるあるみたいなことを聞きたくなるほど元気いっぱい咲き乱れていた。黄色い菜の花が。正確に言えばいわゆる菜の花とは品種はもちろんちがうようなのだが、我が子が(うっかり)咲かせたそれはなんだかとってもかわいく見えたのだ。

あなた、こんなにすてきに咲けるなんて!ブラボー!

我が家にステキな花瓶はないのでひとまずわたしが無駄にあつめている瓶に水を入れ、菜の花を挿した。

前述通り菜の花に我が子への思いに似た感情を持ってしまったわたしは毎日せっせと水を変え、かわいいねと声をかけ、すっかりとりこになってしまったのである。お花のある暮らし、いいじゃない。フンフン♪

最初はあることすら気づきもしなかった蕾が色づいて花を咲かせる。なんと感動的。ブラボー!

子供にもきっとまだ気づいていないような無限の可能性があるはずだ、と大学の先生の顔を思い浮かべながら考える。こういうことだったんですね、先生。

わたしの愛情あってか、もともとの力なのか。すごい勢いで伸びていく菜の花。

ついに背の低い瓶では心許なくなったので少し背のあるWECKのガラス瓶に変えた。

菜の花もそれだけでかわいいけど、大きな瓶には少し寂しくて、白いガーベラと朱色のフリージアを買い足した。

そういえば現役の頃、学年末にクラスのお母さんたちにいただく花束には時期的にもフリージアが入っていることが多かった。香りと記憶は結びつくとはよく聞く話。フリージアの香りをかいで、わたしも例外なく当時の進級や卒園期の記憶が蘇りうれしくも寂しいおセンチな気持ちになった。

話は逸れたがかわいいお花たちを前に、話しかけたり、眺めたり、そっと触れてみたり、スンスンスンスン嗅いだり実に忙しい。

所謂形から入りたくなるタイプなもので早速フラワーベース探しをしてしまいたくなるが、落ち着け自分。

まずは今あるもので楽しんでみようと思う。




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