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お月さまをあなたに

「なぁ、ツキミソウって知ってる?」
「……名前なら聞いたことあります。詳しくは知りませんけど」

花の名前ですよね、と私が問いかけると、

「月見草。待宵草(マツヨイグサ)属の植物。同属種であるオオマツヨイグサ、マツヨイグサ、メマツヨイグサのことを月見草と呼ぶこともある。夏の夕方に開花し翌朝にはしぼんでしまう。花名は、月が現れる時間帯に咲くことに由来するといわれる」

高野さんは一息でそう説明し、携帯の画面を私に突き出すと糸が切れたように机に突っ伏した。

「俺も朝になったらしぼんで消えてしまいたい」
「何言ってるんですか」

画面に映し出された月見草は白く儚げな花だった。

✴︎

今週末、中古文学の演習で発表を控えている私達は、いつものように大学の研究室で眠れぬ夜を過ごしていた。
一回の授業で発表者は二人。二人といっても考察は各々行う個人演習だ。

今回私達が担当を任されたのは源氏物語のある一巻だった。指定されるのは場面だけで、あとは自由に考察を進められる。
しかしその自由さ、落とし所の見つけにくさ、そして終盤になってから「あれ?この解釈ちょっと無理がある?」と気づいてしまった時の絶望感ーーこのまま気づかなかったふりして逃げ切ってしまおうか、最後まで諦めずにもがいてみようか、悪魔の囁きと良心に挟まれる羽目になるーーに、いつの世も学生達は苦められてきた。

勿論それは私達も同じで、その証拠に時計の針がてっぺんを超えても、二人とも変わらず椅子の上で唸り続けている。

高野さんは、シャーペンをカチカチ言わせながら、学部生はいいよなぁ、俺なんかちょっと手を抜いた資料作ればコテンパンに叩かれるのがオチだぜ……とうろんな視線を私に向けた。
そりゃあ高野さんは修士課程。学部生の私とは求められるものが違う。

「あともうちょっとじゃないですか、諦めないで頑張りましょう」
そう言いつつも、修士以上の学生に対する教授達の指摘や質問は毎回たしかにエゲツないので、想像するだけで萎える気持ちもよく分かる。

だけど、何だかんだ文句を言いつつ高野さんは絶対に手を抜かない。
それを知っている私にできることは、やっぱりこうやって一緒に机に向かうことくらいだ。

✴︎

「月といえば、これがありました。花ではないですけど……」
食べます?と、私は冷蔵庫の扉を開けた。
「お土産の残り物ですが」
そう言って、机の上に[仙台銘菓 萩の月]と書かれたお菓子の小箱を乗せる。

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高野さんは、おぉ、アンタの地元じゃんと嬉しそうに箱を手に取った。
「これって冷やして食べるもんなの?」
「いえ、常温でもおいしいんですけど、冷蔵庫で冷やしてからの方が人気あります」
それが帰省のお土産として配った友人達の総意だった。

そりゃ楽しみ、と高野さんはさっそく袋を破り、黄色のカステラ生地にかぶり付いた。
「生地がしっとりしてて冷たいクリームがよく絡む!うまい!」
食レポか、と突っ込みたくなる衝動を抑えて、まぁ銘菓ですからねと胸を張る。
見ていたら無性にお腹が空いてきて、私も一つ箱を開けた。疲れて茹だった頭に冷えた甘いクリームが染みわたる。
おいしいですね、と頷きながら、私は高野さんの顔をそっと見つめた。

本当は、私の資料はほとんど完成している。残りを明日に持ち越しても、十分間に合うくらいには。

冷蔵庫のお土産はこの夜のためにそっと選り分け忍ばせた。
高野さんが私の故郷を少しでも好きになってくれたらいい。そんなことを思って。

ーーこのまま夜が明けなければいいのに。

月の光が一すじ落ちる闇の中、風にさざめく月見草が永遠に咲きほこっている。
そんな景色が、一瞬まぶたに浮かんで消えた。


fin

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こちらはゆるショートサークルで作った作品です。
お題は「月と冷蔵庫」でした。

萩の月、仙台のお土産の定番です。
小箱の高級感がGOOD。
今や全国各地で見られる、カスタードクリームが入ったカステラ生地の丸いお菓子の元祖とも言われています。機会があったらぜひ食べてみてください。


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