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ちいさいトマトを小瓶につめて

「アンタ、ミニトマト欲しい?」
「えっ、いるいる」

じゃあ明日10時にうちね、と言い残して母の電話は切れた。
大量のおすそ分けでもあったんだろうか。一人暮らしの身としては、もらえる物は何でももらっておきたい。
時間指定が少し気になったけれど、きっと他に予定でもあるんだろうと深く追及はしなかった(というより、聞く前に一方的に切られてしまった)。
なぜもう一度かけ直さなかったのか、次の日私は後悔することになる。

✴︎


「トマト狩りぃ?」
「そうよ、昨日言ったでしょ」

絶対言ってない、と反論むなしく後部座席に詰め込まれる。

「私、今日スカートなんだけど」
「そうだと思って持ってきてる」
そう言って振り返った母が見せたのは、
「高校のジャージ……」

何が悲しくて土曜の朝から社会人が古いジャージを着ないといけないのか。
というかこの用意周到ぶりは、
「絶対わざとでしょ……」
昨日詳しく話さなかったのも全部。

母は背後から発される不平不満を追い払うようにエンジンをかけ、車を発進させた。
問答無用で動き始めた貴重な休日に、私のぼやきはあっさりとかき消されてしまった。


✴︎


「何だか久しぶりな感じね。少し来なかっただけなのに」
正午が近いせいか、夏の日差しはいっそう強さを増していた。日焼け止めを置いてきたことにため息をつきながら相槌を打つ。
「おばあちゃんがいないと来る理由もないからね」

車を一時間弱走らせ、着いたのは以前祖母が住んでいた家だった。周りを田んぼと畑に囲まれた土地の一角で、数年前に祖母が施設に入ってから、室内は半ば物置のように使われていた。

車から荷物を下ろし、ドアを閉めると少し離れた隣家の裏から女性が駆けてくる。

「ミッちゃん!わざわざありがとう!…あら、サエちゃんまで来てくれたの!」
お休みの日に遠くまでありがとうね、とほがらかに笑いかける女性は母の幼なじみで、昔から私も可愛がってもらっていた。
彼女は元々離れた場所で暮らしていたが、両親と同居するため最近帰ってきたらしい。

「お久しぶりです」
「大きくなったわねぇ」
中学までは頻繁に帰っていたので会う機会も多かったが、高校以降は忙しくなり、きちんと顔を合わせるのは久しぶりだった。

「父さんも喜ぶわ」
何だか最近ボケてきちゃってね、あまり元気ないのよ、と続ける彼女の言葉に胸がドキッとする。
小さい頃に祖父を亡くした私にとって、彼女の父は祖父のような存在だった。
農家として生計立てていた「となりのじいちゃん」は、幼い私が遊びに来るたび採りたての野菜を持たせ、時には収穫ごっこもさせてくれた。

ーー私のこと覚えてるかな。

最後に会ったのは祖母が施設に入る日。あの時はまだ元気そうだったのに……。

一旦家に入ってジャージに着替え、母らが待つ裏地まで行くと、大きなビニールハウスが六つほど立ち並んでいた。外からでも緑色の葉が生い茂っているのが分かる。中にはうっすら赤い実らしきものも見える。

「まさかこれ……全部トマト?」
「そのまさかなのよー」
農業自体は去年で畳んだらしく、今夏は趣味としてトマトだけを作ったらしい。
「父さん、土いじりしてる時は楽しそうなのよね」
畑に関しては父の領分、と任せたまま、気づけば大量のトマトが溢れかえっていたそうだ。
「トマトといってもミニトマトだけどね。完全無料取り放題、好きなだけどうぞ!」
そう言ってビニール袋を渡される。足元には積み重なった小さな箱。
「これ全部詰めて帰る気……?」
隣に立つ母の目は、スーパーの詰め放題コーナーに向かう時のそれと同じだった。


✴︎


ビニールハウスの中は、直接日差しに当たらないものの熱気が充満し、まるで蒸し器の中にいるようだった。
左右見渡すかぎり隙間なく枝葉が交錯し、鈴なりに実ったミニトマトが、太陽の光を十分に浴びて赤く艶やかに育った体を競うように見せつけている。
思わず一歩近づき、目の前にぶら下がった一粒をつまむと口いっぱいにトマトの甘酸っぱい汁が広がった。
一つ食べるとまた一つと手が伸びてしまい、気づけばビニールの空袋が所在なさげにかさかさと空気を食んでいた。

(まずいまずい、仕事しないと)

持ち帰り用の箱は五、六箱あった。小さいと言えど相手はミニトマト。ペースを上げて摘んでかないと、下手したら夜までかかってしまう。
食べるのを中断して無心に実を集めていると、目の前の地面に人影が落ちた。

「……じいちゃん」
「久しぶりだのぉ」
ーー良かった、覚えてくれてた。
それだけのことで、少し泣きそうになる。
「なんだぁ、もう高校か」
「違うよ、大学出てもう働いてるんだよ私」
と言いながら、こんな見た目じゃ間違われてもしょうがないかと自分の格好を思い出す。
となりのじいちゃんはそうかぁと笑うと、ほれこれ付けろ、と丸まった軍手を握らせた。
「付けねぇと手ぇ汚れるかんな」
慌てて手のひらを見ると、指の表面がうっすら黄色くなっている。

「ありがとじいちゃん。トマトもおいしいよ」
「実ぃ割れてんのが一番うめぇから」
そう言って、はち切れて裂け目が入ってしまったトマトを指差す。言われるがままに食べてみると、
「……おいしい」
さっきまで食べていたトマトよりずいぶん濃くて甘い味がする。目を丸くした私にじいちゃんは、だろ?と満足げに笑うと慣れた足取りでハウスを出て行った。


✴︎


割れた実を袋に入れると果汁でベトベトになってしまうので、持ち帰ることはできない。
だからといってそのままにしておけば、それらは真っ先に地面に落ちて、後は腐るのを待つばかり。
よくよく地面を見渡すとそんなトマトが一面に転がっていて、そうなる前に一粒だけでも、と慌てて口に放り込む。
弾けたトマトの救出活動は私のお腹が苦しくなるまで続いた。


✴︎

「そんなわけで、はい!」
一部始終を話し終えて満足した私は、抱えてきたミニトマトの箱を彼の手に押し付けた。最終的な取り分として二箱受け取ったものの、一人暮らしの家では一箱消費するので精一杯だ。
突然のもらい物に少し戸惑いながら、彼はありがとうと箱を開けた。万が一のためビニールを敷いておいたので、液漏れの心配はないはずだった。が、
「あれっ」
声を上げた彼に続いて慌てて箱を覗き込む。

「割れてる……」
昨日しまった時は大丈夫だったはずなのに、一日置いて熟成が進んだのか、箱の中のトマトはどれも弾け裂けてしまっていた。
急いでにおいをかぎ、奥の方まで目視したかぎり、まだ腐ってはなさそうだ。
「……ごめん」
何にも罪はないのだけど、消費期限ギリギリのものを渡してしまった情けなさと、地面に落ちて腐っていくトマトと、おいしいと言った時のじいちゃんの笑顔が頭の中で混ぜこぜになって、気がついたら涙がにじみ出ていた。

「なんで謝るの。サエのせいじゃないでしょ?それに割れた実の方がおいしいって言ってたじゃんか」
「それはそうなんだけど……」
これでは長く楽しめない。しばらくお弁当の彩りにするのを楽しみにしてたのに。

黙り込んだ私に彼は少し考えた後、何とかなるかもしれない、とスマホで何かを調べ始めた。

「これとかどう?」
そう言って掲げたスマホの画面には、
「……ミニトマトのジャム?」
「昔母さんが作ってたの思い出したんだ。これなら割れてたって関係ないし、一度作ればしばらく持つでしょ?」
「……ほんとだ」
なんでそんなアイデアを簡単に思いつくんだろう。私なんて隣でメソメソ泣いてるばかりで何の役にも立ちやしない。
「……今、変なこと考えてるでしょ。余計なこと考えてないでさっそく作ろう」

鼻をすする私を置き去りにして、彼は箱を抱えてキッチンに立った。いきなり作るって言っても材料や調理器具はあるの、と訝しんですぐ、少し前にされたカミングアウト(と彼は言っていたが、「彼がそれなりに料理をする」ことは私も薄々気づいていた)を思い出す。
彼にだけ任せるわけにはいかないと、ようやくいつもの使命感に火がつき、パタパタと彼の隣に追いついた。


✴︎


出来上がったジャムは少しゆるくて、でもそれが手作りらしくて、太陽の光をギュッと詰め込んだような甘さは生で食べた時と同じかそれ以上に濃い味がした。

「明日はそっちの家でケチャップ作ろうか」
サエの家にもまだあるんでしょ?と言われて、残りの一箱のことをすっかり忘れていたことに気づく。

ーーあぁ、何だか彼にはかなわない。

「……よろしくお願いします」

私の中の甘さと酸っぱさがジャムみたいにトロトロに溶けて、ノドの奥を通り抜けていくのを感じた。


fin


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ブロッコリーの話に出てきた二人のその後のお話です。

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