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「真面目さ」の取り扱いに注意せよ

これは私の経験に基づく私見ですので、きちんと検証をしたものでない内容である事をご理解いただけますようお願いします


真面目で自己主張強めの家庭で育った私

姉たちは幼い頃から常に生徒会や部活で活躍していた

苗字が珍しくただでさえ認識されやすいのに、その姉たちの妹というだけで注目される私

家庭で何の期待もされず、世話してもらって自分で何も考えず自主的に動く事無く生きていた私が、他人の期待に応えられるはずも無く

勝手に期待されて勝手に期待外れだったという眼差しで見られる事に耐えきれず、常に居心地が悪かったし自分の存在価値さえ見いだせなかった

早くこの環境から離れたい、自由になりたい、私らしく居たいという気持ちが増幅するも、相反する気持ちもあった

私の家族は間違いなく善人だ

信念があり尊敬できる父、仏教の教えを追求し純粋な心を持った母、家に親たちが居ないにも関わらず勉強や部活などを一所懸命やる姉たち

誰よりも私が家族を認めていたのだから、そんな家族を否定する事も、はなから自己肯定感なんて持ち合わせていないのだから自己主張も出来る訳もない

ただある私自身に起こった衝撃的なきっかけで、家族が実は完璧ではなく、欠けた部分を持ち合わせたただの人間である、と悟った

それを受け入れるのにこんなにも辛い経験しなきゃいけない必要があったのか?と今でも思うけれど、浮遊物のように生きていた私が開眼するきっかけになったのは確か

ただの欠けた部分を持ち合わせた人間である私の家族は真面目で善人であるけれど、それが他人の信頼は得たとしても必ずしも尊敬される訳では無い

何故なら、世の中は正論だけで成り立っていないから


杓子定規な真面目さはうざい

自信を持って正論を振りかざす傲慢さは、忌々しい

他人の未熟さを非難し貶めるような人間は、偽善者だ

世の中の不条理や悪事を働くこともあり得る人間の本質を見ようともせず、自分の正義を貫くのはただの自己満足にすぎない


誰しも完璧で無く、間違いも起こすし、未熟さゆえの過ちもある

自分の正義が他人の正義とは限らない

信じていた常識は時代や環境によって変化する


視野が狭く、ゆとりや遊びの無い「真面目さ」は美徳では決して無い

ただし、「真面目さ」を持ち合わしていなければ、何事も為し得ないし、何者にも成らない






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