「訴える」と「引き出す」の違い
これは私の経験に基づく私見ですので、きちんと検証をしたものでない内容である事をご理解いただけますようお願いします
私は優しい人が好きだし、憧れる
私の優しい人の定義は、思いやりがあり、情に厚く、誠実で包容力があり、その信念の下に行動出来る強い人
だけれど、自分自身は優しくない人間だと思う
自分の琴線に触れた事は大切にしたいし、正直で誠実でありたい
だけれど、他人には同調して行動しないし自分のその時の感情に流されるから、思いやりの気持ちを持っていたいけれど意志が弱く、凡そ包容力なんて持ち合わせていない
そして非情な人間だ
ひとたび相手が不誠実で自分勝手な人間だと認識すると、全くどうでもいいと切り捨てられる
何故なら
私自身が人様の温情によって生き永らえてきたからこそ、「感情」はその人自身の内から湧き起こるものでしかないのを知っているから
人間社会で生きている限り、独りでは生きていけないし、常に何かしら他人と関わっている
その関わり方はそれぞれの感情によって違ってくる
好感を抱くのとそうでないのとは、自ずと対応が違う
そして自分がどう思おうが、それぞれが同様に自身の感情を持ち合わせているのだから、それによって態度も対応も違うのも当然と言える
だからこそ、自分の感情を満たす為に努力して関係性を築いたり、商売を成り立たせる為に駆け引きしたりする
他人の感情を操作しようとする
私自身、幼い頃は目の前の環境の中での生きる術だったのだけど、無意識的に好感を持たれるようにしていたと思う
だけれど、今では自分のいろいろな感情を満たす為に、そういう態度をしている事も自覚している
サービス業に携わって、人の感情を汲み取って対応する事が結果に繋がる事を学んだ
だからこそ、余計に他人のそういう態度に敏感に反応するようになったと思う
よく「情に訴える」と言うけれど、余りにもそこに意図が見えると不快な気持ちになる
話題になった「感動ポルノ」も然り
辛い、切ない、という感情は自分の中にあるもの
余りにもお涙頂戴的な主張は、意図的な打算があるように感じる
感情が揺さぶられたり、感動したりは、その人自身が抱くもの
自身が思いやりの気持ちや情が湧くなら、いい
他人が訴えて何かを得ようと操作するのは、その純粋な感情に対して不誠実だと思う
だいたい、「情に訴える」ような態度を取る人は、自己陶酔しているか自己保身のテクニックとしてやっている場合もあり、結局自分勝手な人間も多く、簡単に人を裏切ったりする
ただ
誰しも好感を抱かれたい、共感して欲しい、情を掛けられたい、と思う気持ちはきっとある
だったら、「訴える」というより、「引き出す」ような態度や姿勢を取る方がいい
自分が誠実で感謝の気持ちを忘れなければ、相手が自らそういう感情が芽生えると思うし、そこにはポジティブな意味合いがある
接客業で私が線引きしていた事がある
ノルマがある仕事だから、売上高を取る事が必要
だけれど、決して売りつけるような気持ちで臨まない、と心に誓ってこれまでやってきた
お客様の希望を聞いて、希望を叶える物を提案し、商品を購入して良かったと思って貰える接客を心掛ける
商品を売るという事は同じでも、この気持ちの持ち様の違いはお客様にとっても自分にとっても、あると思っている
接客する姿勢や言葉選びに現れるし、お客様からの信頼度が違うのだから、リピーター率などに格段の差が出る
凡そ私は包容力も無いし、優しく無い
情に厚くないし、それどころかバッサリ切り捨てるような冷徹なところがある
だけれど、自ら湧き起こる思いやりや情の気持ちに素直で居たいし、きちんと態度で示したい