【結局コレ!】超絶望的人生だった私が変われた理由
結論を先に言うと、「実践したから」です。
この時点でもう読みたくなくなった人も多いかもしれません(笑)
が、もう少しお付き合いください。
カウンセラーとしてはピヨピヨですが、10年以上心理学の世界にいます。
でも、10年近く、なかなか変われなかったんですよね。
イメージワークやロープレやアファメーションやらをやって講座を受けてみて、仕組みを理解したり占いにハマってみたり、スピの世界を研究して祈りとか引き寄せをやってみたり、科学や物理を勉強してみたり、
自分を大事にするを履き違えて、カフェでお茶してみたり、高いお洋服を買ってみたり(笑)
とにかく私は、なんとか「幸せ」というものを知りたくて手に入れてくて、本当に本当に、たくさん試行錯誤してきました。
でも、結局変われなくて絶望する、を繰り返してきました。
私に足りなかったのは、たった一つ、「実践」でした。
座学や学びは得意なんですが、祈ったり自分と向き合うという名の
逃避(殻に閉じこもってみたり)をして、「実践」から逃げていた気がします。
要するに、「ダメな自分」を認めたくなかったんですね。
SNSの影響でしょうか、
シンデレラストーリーのようにキラキラと「綺麗に上手に、いい感じに変わりたかった」みたいです(笑)
引き寄せとか祈りみたいなのは今でも大好きですが、それだけでは難しかったんです(※私の場合)
私が変わりたいのに変われなかったのは、
「ダメな自分を直視する覚悟がなかったから」です。
メンターに伴走してもらって
泥臭くてヘドが出るような感情を感じてみたり、惨めで恥ずかしい自分を認めざるを得なかったり。
それでようやく一つの層を抜け出せた感覚があります。
何者でもない自分にコンプレックスを感じて
付けたり足したりをしてきた私は、一周どころか百周ぐらい回って、
「何者でもない今の自分」が一番、自分らしいかも?と思います(笑)
(まだ完全に腑に落ちているわけではないですが)
空っぽで無力で、自分が思っている以上に自分では何もできない(笑)
誰かを助けたい、癒したいとか言って、
誰かに影響力を与えたいと思ってること自体が空っぽな自分を証明しているなぁと言う感じ(汗)
そのくせ誰かに助けてと言えず、一人でやろうとするどうしようもない自分。
完璧じゃないからこそ完璧主義になってできる自分を演出してみたり。
(うわぁ。なんかうざいですよねぇ^^;)
できないものはできない
わからないことはわからない
好きなものは好き
嫌いなものは嫌い
なんで、できないんだろう?その裏の心理はなんだろう?とか
なんで嫌いって思っちゃうんだろう?とか
なんでイライラするんだろうって考えがちですが、
嫌いでも好きでもどっちでもいいんですよね(←これ言うと元も子もないですが笑)
親のせいとか家庭環境のせいとか、幼少期のなんとかとかに縛られていた時期は長かったけど、そもそも別の家庭に生まれて、恵まれた家庭環境だったとしても私はきっと今の私になっていたと思う。
ちょっとしたことで悩んだり捻くれたり、
職場で勝手に無価値感を感じて絶望してみたり
親に冷たい態度をとっちゃって罪悪感を感じたり
そうやってるのが私そのものだとということ。
もはや、自覚はないけど好きでやってるのかもしれないし、
その刺激を楽しんでいるのかもしれないとも思う(笑)
これが不感症な私、
裏を返せば刺激ヲタな暇人の私だなーと最近思えてきて。
「しょうもないなぁ(笑)」って思うのです。
つまり、
罪悪感やら無価値観やら黒歴史やらに縛られたフリして生きることに飽き
ただけなのです(笑)
しょうもないけど、
なんかまぁ、これでいいや(笑)という諦めでも絶望でもない、
なんとなく自分は大丈夫だなーと思える、不思議な感覚です◎
きっとまた私は悩んで絶望して消えたくなったりもすると思いますが、
また浮上して「まぁいっか」ってなるんだと思います。
そして、実は、飽きるまでやってみるのはおすすめです。
そのうち、「しょうもなっ!!もっと楽しいことやろ!」ってなります^^
ということで、
結構癒しが進んだのかわかりませんが
「まぁいっか、これが私やもんな」とようやく腑に落ちてきた青羽いく
でございました。
読んでいただきありがとうございます^^
青羽いくでした