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「かもしれない」が事実になっている恐怖

伝言ゲームは面白かったけど、リアルなのかもしれないと思う、フリーライターのaoikaraです。

子どもの頃にやったな。「最初と全然違うじゃん!」とか言いながらね。きっと“人から聞いた話”も伝言ゲームに近いのだろうね。


対面で会話をするだけでなく、インターネット上で会話を交わすこともあり、そうすると会話の記録が残る。言質として残るわけだけど、会話の量が莫大だから、過去のものはどんどん流されて、鮮度のいい会話が中心になる。

だから、最初は「かもしれない」だったはずの出来事が、「かもしれない」を前提として話す人が増えて、いつの間にか事実になってしまっていることもある。良いことも、悪いことも。

「あの人って〇〇をしていたから、~~もしてそう」みたいな話も、「〇〇」だけが事実のはずなのに、そのうち「~~」まで事実になってしまう。

「かもしれない」なのに「事実だ」と誰かが勘違いして、その勘違いを聞いた人も「事実だ」と思い込んで、広がってしまう。怖い。


でも、自分は全くやっていないのかといわれると、わからない。もちろん意図的に嘘を広めてやろうなんてことは思わない。だけど、勘違いした自分だけの解釈を放って、事実ではないことを事実だと広めてしまったことはあるかもしれない。

だから、自戒も込めて。

自分が知らないことは、本当にそうなのか、調べてみる。自分が「それって違うのにな」と知っていることは、「それ違うよ」と言う。私の声は小さいけれど、少なくても誰かには届く。そのうちの「あれ、そうなの?」と思ってくれた何人かが、きっと本当かどうか調べて、「違ったんだ」と気づいてくれる、かもしれない。

自分が間違ったときは、きちんと謝って、訂正をする。地道だけど、気づいたときはできたらいいな。

2022年4月29日(金)

No.1211

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