noteもnot foundになってしまうのか
noteは使っていて、cakesはときどき見ていた、フリーライターのaoikaraです。
noteと同じ会社が運営しているcakesが終了すると発表された。2022年8月31日にウェブでの公開を終了するとのこと。
という言葉を受けて、喪失感に近い悲しみを感じた。自分が書いたもの、作ったものが、無になってしまうような、そんな感覚。同じ会社であれば、noteも同じく、いつか無になってしまうコンテンツなのかもしれないと思うと、不安にもなった。
でも、それがwebという場所で、いつか消えてしまうのは仕方ないのかな、とも思った。
cakesのさまざまな問題が起きながらも、私はnoteを使い続けてきた。自分が毎日書く場所が欲しかったし、noteの中での交流も楽しかったから。問題をわかりながら、ざらざらとしたものを感じながらも、自分の居心地のよさを優先していた。
別にnoteだけではない。「それってどうなんだろう?」と疑問に思い、考えながらも、そのままでいることはたくさんある。そのままでいる自分にもやもやとしながら、結果として別に何も考えていない人と同じ状態でいて、別に何も考えていないと思われても仕方ない、とも思っている。
「それってダメでしょ」と疑問が嫌悪や意志に変われば、きっと手放すだろうし、離れるのだろう。そうやって手放したり、離れたりしたこともある。でも、大半がもやもやを抱えながらもそのままでいる方を選択している。
noteのようなプラットフォームを探したいなと思っていながら、結局は探さずにいて、noteの居心地のよさも感じて、続けている。だから、同じように「今日から無になります」と言われたら、同じように「悲しい」けど「仕方ない」と受け止めると思う。cakesよりは「悲しい」が大きいくらいか。
今ってどういう状態なんだろう、結局どっちつかずだけど、居心地のよさもあるし、考えるのをやめてしまおう、このままでいよう。そうやって変わらずしばらく生きてきた私の人生そのものみたいで、なんだかな。なんだか、だなんて、語彙も見当たらないなんてね。
それでも私はまだnoteにいると思う。書きたいし、読みたいから。
cakesでは希望があればクリエイターの方に原稿などお渡しすると追記されていました。noteがなくなるなら同じようにしてくれるといいね。
2022年5月26日(木)
No.1238
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