ほんとは一人遊びが苦手かもしれない。
アプリゲームが長続きした試しがない。
もともと、コンシューマーゲームでもストーリーを楽しめれば満足で、クリアしたらそれでおしまいになることが多い。周回などの「やり込み」をあまり楽しめないタイプである。ストーリーを進めるために必要だから頑張るけれど、できればレベリングなども最小限がいい、と思ってしまうほうだ(じゃあゲームなんかやんないで映画でも見てろよ、と言われたら返す言葉もない)。だから、ガチャを絡めつつ周回すること自体がメインの遊び方となることの多いアプリゲームは、いつも途中で飽きてしまう。
そんななかで、「けものフレンズ3」だけは、今のところ飽きずに続けられている。好きなフレンズだけ集められて、育てられればいいや、というライトな遊び方だけれど、それでも、モチベーションは維持できている。
「けものフレンズ3」に、ゲームとしてほかのアプリゲームと異なる何かがある、というわけではない。基本的なしくみは、ほかのアプリゲームと変わらない。私がこれだけは続けられている理由はひとえに、「それがけものフレンズだから」である。
ただ、直接的に「好きだから」というのとはちょっと違う。「好き」で続けられるなら、私はポケモンマスターズに飽きていない。けものフレンズプロジェクトが解体されても手元に残る寝そべりぬいぐるみやタンブラーといった3次元のグッズと違って、サービス終了したら消えてしまう「データ」にそこまで労力を注ぎ込むのもなぁ、と思ってもいる(注ぎ込むことで、サービス終了を先延ばしできる、という点は承知しているが)。「けものフレンズだから」という言葉の意味は、もっと別のところにある。
私はアニメ一期からけものフレンズのファンになったが、その頃から、ほとんどけものフレンズの絵しか描いていないし、けものフレンズの話しかしていない。おかげさまで、Twitterのフォロワーの大半は同じくけものフレンズのファンの方となっている。で、その方たちはほとんどが、けものフレンズ3をやっている。みんなけものフレンズ3をやっていれば、当然その話題がタイムラインに飛び交う。そんな環境にいると、流れてくるツイートに触発されて、ついアプリを起動したくなる。誰かがジェーンの画像を流していたら、(諦めかけてたけど)私も頑張ってジェーン出そう、と思うし(出した)、考察が話題になっていれば、そこを観ておかねば、と思う。自分が何かをツイートすれば、リアクションが返ってくることもあるからツイートしたくなる。話題の映画は観たくなる、みたいな心理だけれど、そのおかげでモチベーションを保てていて、自分の中の「けものフレンズ像」を深めることにもつながっているのである(途中で飽きてたら5章の感動もなかったはずなので、みなさんには感謝するしかない)。
SNS上で提供される、本来の意味での「ソーシャルゲーム」ではない、けものフレンズ3のようなゲームをも「ソーシャルゲーム」と一括りにして呼ぶ向きもあって、厳密には用語の誤用だと思うのだけれど、我が身を鑑みると、たしかに「ソーシャル」な要素のおかげでゲームを楽しめてるなぁ、と思ったりする。
一人でどこへでも行くし、部屋に引きこもって映画観たり絵を描いたりしているのも好きで、「一人遊びに習熟している」と思ってはきたけれど、こうしてみると実際には、一人遊びなんてできていないのかもしれない。