【短編小説】プラマイゼロ理論
分厚い紙の束を見つめ腕を組み、国王はため息をひとつこぼしました。
「我が国の支出は膨らむ一方だ。このままではいつか耐えられなくなり、潰れてしまうだろう。‥‥しかし、一体何から手をつければいいのやら」
食料の安定供給費、国防費、森林維持費、その他諸々。どれも国民の平和な生活を守るために必要な支出でした。
国王は2度目のため息をこぼすと、しばらくのあいだ頭を抱えていましたが、ハッと何かを思いつき顔を上げました。
ある朝のことです。
新聞の一面には"国王からの手紙 プラマイゼロ理論"と一際目立つように書かれていました。
"我が国は幾度となく滅亡の危機に追いやられてきました。しかし今もこうして存在しているのは、みなさまの支えがあったからです。
悪いことが起きれば、その後には必ず良いことが待っている。人生は"プラマイゼロ"になると決まっているのです。
誰かを助ければ、巡り巡って幸せがあなたに返ってくることでしょう。反対に誰かを傷つければ、いつかそれも、あなたに返ってきます。
ぜひ実行してみてください。
ボランティアをすれば、ゴミ拾いをすれば、必ず幸運が訪れます。
それではみなさん、今日も善い1日を"
国王からの突然の手紙に戸惑いながらも、人々はその言葉通り、善い行いをするようになりました。
ゴミを見つければ拾い、ゴミ箱に捨てました。
困っている人を見つければ、必ず声をかけました。
行いの負担が大きければ大きいほど、自分に返ってくる幸運も大きくなると考え、隣の老人の世話を始める人間もいました。
街中のゴミ箱を集め、ゴミ処理施設まで運ぶ人間もいました。
善い行いをすれば、幸運となって自分に返ってくるからです。
1ヶ月もしないうちに、街中は美しく生まれ変わりました。いつも慌ただしく走り回っていた警官たちも、穏やかな表情で椅子に腰掛けています。犯罪もずいぶんと減ったようです。
国王の手紙から3ヶ月がたった頃です。
小さな街の若者が、ひとつの疑問をなげかけました。
『なぁ。善い行いとやらを始めて3ヶ月になるが、一体いつになったら幸運はやってくるんだ?』
『そんなすぐにはやってこないだろう。気長に待つしかないさ』
『そうだそうだ。この間に徳をつめばいいのさ。きっと何倍にもなって返ってくるぞ』
隣にいた別の若者たちが、のんきな声で答えました。
しかし、さらに3ヶ月が経ったころ。
何ひとつ幸運が訪れないことに人々が疑問をもちはじめました。
『隣人にご飯を持って行って、風呂まで入れるようになってもう半年よ。そろそろ何か幸運が訪れてもよい頃だけど』
『俺なんて毎朝5時に起きて、ゴミを集めて回ってるんだ。なのに、なんにも起きやしねぇ』
『俺なんて、警官の代わりに夜中まで見回りやってるんだぜ?もうそろそろ、何かしらの幸運がきてくれないと困る』
『最近はごみ収集車を見かけなくなった。ゴミの収集は誰かがボランティアでやっているな』
『街の警官もずいぶんと減ったようね』
『隣のおばあさん、街の人の助けがあるからって給付金が減額されたと言ってたわ』
『しかし、俺たちが国に払っている金は減ってないぞ』
『‥‥つまり、ゴミ収集に当てていたお金も警備費も、高齢者への給付金も減ったわけだ。‥‥その分の金はどこに消えてるんだ?』
その頃、王宮では。
「ごみ処理問題も犯罪もなくなった!老人たちの世話もしなくていい!我が国の支出は大幅に削減できた!今までこの国のために頑張ってきたんだ。これくらいの贅沢をしても、誰も文句は言わんだろう」
国王はひとくちサイズに切った肉を、うあんと頬張ると、奥歯でグニュっと押し潰しました。
またギコギコとナイフを入れ、ふたくちめを頬張ろうとしたその時です。
ベチャと、何かがぶつかり潰れる音がして、国王は振り返りました。黄色いドロドロとした液状のものが窓ガラスをつたっていくのご見えました。
ベチャ、ベチャ。それは次から次へと窓ガラスにぶつけられました。
「‥‥なんじゃこれは」
国王が立ち上がった瞬間、勢いよく扉が開き、現れたのは息を切らし青ざめた使用人でした。
『大変です!国民が暴動を起こしています!警備隊が抑えていますが、人員が少なく抑制できません!』
「なんじゃと!」
その時でした。
パリンと破裂音が響き渡り、空いた穴から国王をめがけて、ひとつふたつと石が飛び込んできました。生卵や爆竹まで。
「なんじゃこれは!?すぐに群衆を抑えるのじゃ!」
『これ以上は無理です!!警備費用を削減したせいで、これ以上動員できる警官がいません!』
その日一日中、暴動はおさまることはなく、さらには数ヶ月におよび続いたと言います。
耐えられなくなった国王は、全てを捨て、隣国に逃亡したそうです。
長い間人々を騙し、自分だけ幸せな暮らしをしていたこだから、こうなるのも仕方がない話です。
国王の唱えた、プラマイゼロ理論の通り。