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締め切りはエクスタシーだ。

明後日締め切りの原稿をさきほど書き終えた。締め切り前日じゃないのだからまだまだだと思うかもしれないが、次にはすぐ4日後締め切りの原稿があるので予断を許さぬ状況なのである。

ついさっき納品をして先方からの確認待ちなのだが、こうして集中していたものが終わりを迎え、心身が一気に緩むのを感じていると、「ああ、この感覚がクセになっちゃってるんだな」と実感せずにはいられない。

締め切りがある仕事に携わる人たちというのは多かれ少なかれ、このギリギリの高揚感、達成感、安堵のジェットコースターに「エクスタシー」を感じているのではないだろうか。

作業スピードのノリを読む

人間が作業をしている以上、作業スピードは一定ではなくムラがあるのは当然だ。全然進まないときもあれば、スイスイ進むときもあるのがアナログの良いところでもあり悪いところ。

作業スピードの速度は、体調や精神的な問題といった知覚可能なものもあれば、ただなんとなく、意味もなくといった理由の分からないこともある。

そのため、自分の最低速度でもゴールに到達できるくらいの余裕をもってすすめることが理想といえるのだが、これはあくまで理想だ。私はできた人間ではないのでこのように計画的に進めた試しがない。

納品後に訪れる賢者タイム

納品を終えた後に訪れる、あの「明日から夏休みだ」感は何とも言えない。他の日常ルーティンでこの感覚を得られるものを私は知らない。そしてこの感覚を味わうのが、私はものすごく好きだということをはっきりと自覚してしまっているのである。

ちなみに今日、納品を終えた後の自分は、このnoteを書き始めて、ブログを書いて、バイオハザードで殺されて「チクショー!」となっていた。賢者とは程遠い。

締め切りエクスタシーは依存性高く注意

締め切りエクスタシーに限らず、忙しいという状態に対して依存気味な人は注意したほうがいい。忙しくないとやった気がしない、頑張っている感覚がしない、という不感症気味なのも恐ろしいが、最も危険なのは「忙しい状態に身を置くことで思考を停止する口実を作っている」、これである。

自分で書いていてものすごく耳が痛い、いや目が痛いのだけれど、今の私がまさにそうなのだ。タスクばかりを積み上げていて、本当にそのタスクが収入につながっているかという現実から目を背けている。

その結果は如実に自分の経済状態としてあらわれているわけだが、ここを無視し続けていると事業は簡単に傾く。傾くことで一番困るのは自分であり、周囲の人であり、応援してくれている人なのだ。事業として活動している人は、自分だけじゃなく周りにかかわっている多くの人の存在を忘れてはならない。

最後に

今日の原稿は締め切り前々日に納品できたわけだが、四日後締め切りの原稿は明後日から予定がつまっているため、事実上明日には8割がた完成させておかなくてはならないのである。ちなみに進捗は0%なのですがすがしいほど何もやっていない状態だ。

しばらくはこの「締め切りエクスタシー」依存症から逃れることができそうにない。

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