私は本当に肩を叩いていたのか
こちらは、シン・エヴァンゲリオンのネタバレを含みつつ、自分と父親について考えている文章となります。
シンジくんが言われた言葉の中で私にもそのまま刺さった言葉がある。タイトルにある通り、息子が父親にしてやれることは肩を叩くか、殺してあげることだけ。という言葉。
私も父親とは確執があり、数年前に父親の目を盗んで家出をし今は連絡をとっていない。
私の父は私のことが大切すぎて、とても過保護だった。最終的にはどこかに行ってしまうなら何もできないでほしいといったところまでいきついていた。
本当は、今みたいに音信不通になるのではなく、お互いのために距離をとって普通の親子のように実家と独り立ちした子供の関係で居たかったので、必死に向き合った時期もあったのだが、幼少期から言葉でコントロールされて育ってきたので自分の意見が第一声は言えても段々言えなくなっていく。
言葉のやりとりをすればするほど、自分が間違っている気がする。
アプローチ方法を変えて、メールで伝えたり、近所の祖母の家にプチ家出してみたり、あの頃は最大限頑張っていたのだけど。結局は全て壊して逃げてしまった。
私なりに必死に肩を叩いた。父からの愛情だって伝わっている、私だって大事な家族だって思っている、でも1人の人間だから意思があるから、外の世界に快く送り出して欲しい。と。アプローチ方法を変えて何度も頑張ったがダメだった。
結局私は殺してあげることを選んで父の元を離れた。
家出を決めるまでに随分悩んだ。1年後には違う選択肢が増えてもっといい方法があるんじゃないかと、要介護が必要な祖母からも離れることになるが本当にいいのか、弟を実家に1人残してもいいのか、絶対今のタイミングは間違っていたと思う日が来るとわかっていたが、私の心が既に壊れかけていたので、今後襲ってくるであろう全ての後悔は気が済むまで背負い続けると決めて結局家出をした。
そして今、後悔もしているし祖母は随分悲しませたし、弟にも一度だけまだいっしょに住んでたらなぁと言われたことは大事に心に刺したままにしている。自分が決めたことで、人を傷つけたのは私が背負うべきものだと思っている。
私が今こうして仕事をしてお金をもらって生きていけているのは、あの時に心を壊して自殺しなかったからだから。朝の線路に飛び込みたくてぼんやり線路を見つめていたのは一度や二度ではない。飛び込みが如何に人様に迷惑をかけるかということだけ考えて思いとどまっていた。
確かに、肩を叩くか、殺すしかなかった。
家出をしても親子なのは消えず、ケンスケの言う通り、縁は残っている。親子ってなんなんだろうか。ちゃんと話を聞いて欲しかった。対話をして欲しかった。それができなかったのはやっぱりどちらも同じぐらい悪いとしか言いようがない。