私が食べることが嫌いな理由
だいぶ間が空いてしまいましたが、別に誰と約束したわけでもないので書きたいことを書きたいときに書いていきます。こないだ、心療内科の先生に言われて納得したので備忘録かねて整理
私は食べることが嫌い。味はわかるし、過食、拒食はない。でも単純に食べることが嫌い。
幼少期に少食だったせいで食べろと言われて育ってきていたからと、今あまり生きていたい理由もないのに生きるためにする食事に気が乗らないからという理由が主だと思っていた。でもそれだけじゃなかった。
父は生活音を嫌う人だった。本人は生活音がほとんどしない。生活音がするときは怒っている時だけだった。扉を勢いよく閉めたり、足音をわざとたてたり。
父の機嫌が悪い時、息を殺して様子を伺いながら暮らしていた。家を出るまでの最後の3年間は毎日そうしていた。常に無視されていたから。とにかく生活音をたてないように、居ないかのように振る舞っていた。そこまでしても家に帰っていたのは弟が居たからである。この頃はまだ絶対に弟と家を出ると意気込んでいた。
食事は私にとって生活音が出る嫌な行為だ。まず、自炊しようとしたら怒られる。背中から刺すような殺意を向けられる。リビング兼、父の部屋だったせいでリビングにあるキッチンは父の領域だった。冷蔵庫もキッチンにあるので使えなかった。
部屋で食べているとどうしても音がでてしまう。ビニールを擦る音、箸をつかう音、咀嚼音、食事は音が出る。
だから基本的には会社で食事を済ませていた。夜は大抵遅くなるので駅から家に帰る道で肉まんなどを買って食べ歩いて帰っていた。
休日はカロリーメイトやクッキーなど、冷蔵しなくて食べれるものを食べていた。あとは、祖母のところに行って温かいご飯を食べていたりもした。祖母が入院をするまでは。
食事にいい印象がない。できればしたくない。1日の栄養をひとくちでとれる栄養食が早くでないかとずっと思っている。そもそも興味がない。テレビで見ても美味しそう、すごいね、とは思う。じゃぁ食べたいかと言われるとそうは思わない。
この興味のなさは、無意識的に食事は嫌なことと認識しているからだと最近気づいた。
生きていくので辞められることじゃないから、できれば嫌いなのだけはやめたい。1日に3回も嫌いなことをしたくもないのにしているという気持ちをなくしたい。音をたてても誰にも怒られないのだから。