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【交換日記No.4 不器用ガールの距離感−藤岡よし乃】

最後、4人目になります。
下鴨住人のよしのと申します。

さて、前回はとしきくんが書いてくれました。
バトン、ありがとう。

としきくんのあの日記を読ませてもらって
わたしも半年間のシェアハウス生活を振り返りたくなっちゃった。

テーマ、被せてごめんね(笑)

だって、舞台は一緒だとしても、同じ物語は一つとしてないと思うから。

言い訳でしょうか?(笑)

それでもわたしは、やっぱり、一人ひとりの物語を知りたい。

そして今、読んでくれているあなたにも
少しだけわたしの物語に耳を傾けてもらえたらうれしいなあと思います。

***

勢い余って入居を決めたのは、まだ肌寒い冬のある日のこと。

ちなみに、もともとわたしは、
不特定多数と暮らせるほど「外向的」じゃない。

集団行動が苦手なシャイガール(敢えて言わせてください)だから、
むしろ人間関係全般あまり得意じゃなくて、
人並みか、それ以上に苦しんだ22年間だった。

けど、一度心を許した人たちのことは
絶対的に、苦しくなるほどに、
もう心の底から、全力でいつも愛していた。

だから「家族や人間関係、コミュニティは、生涯を賭けて追求していこう」と決めたのが、この頃の話。

この点、新しいコミュニティの在り方として紹介されるシェアハウスにも
「研究対象」のひとつとして関心があった。

自分が入ることは、全然想定していなかったけど(笑)

「最後の1年、嫌なら抜ければいい」と
実験感覚で、突如現れたドアを叩いたのが始まり。

***

そんな波瀾万丈な幕開けから、
もう8ヶ月経とうとしている。

この暮らしを始めてから変わったことは、たっくさんあるのだけど
一つ挙げるとすれば何だろう。

「自分を大事にできるようになったこと」か。

うん、もちろん
誰かと一緒に住む豊かさも
下鴨の人たちとのやり取りから、日々実感してる。

それぞれが日々頑張る姿をリビングで見ると鼓舞されるし、
白熱の議論を繰り広げる夜もある。

一緒に旅行にだって行く。色んなところへ出掛ける。

それは、高尚なものだけではなくて。

例えば、
「ただいま」に「おかえり」を。
「いってきます」に「いってらっしゃい」を。

そんな些細なキャッチボールに救われた日もあったことを記しておきたい。

だけど、自らを変えざるを得ないほど
深く深く心に突き刺さった、シェアハウス史上最大の学びは

いかに他者と健全な距離を保つかということ

そして、ひいては、自分を大事にすること だった。

***

当たり前だけど
同じ家に住んでいるわけだから
ぼーっとしてると、毎日誰かしらと一緒に過ごすことになる。

確かに、その場所はいつでも駄弁れ、馴れ合えちゃう環境とも、
言えなくはない。

ところが、大好きな人たちのことを深く愛してしまう不器用なわたしは
ぐっと堪えて、意識しなければ
自分のことなど顧みず、彼らの意向に沿って行動してしまうのが常。

そのクセは、負のスパイラルを呼び起こしがちである。

<相手の都合最優先→自分の時間取れぬ→イライラ堆積→バーンアウト!>

上記ループを生み出して後悔した関係性は
これまでにも度々あった。

でも、当面は一緒に暮らすことになる下鴨の人たちとの関係性は、
簡単にぶち壊すわけにはいかない。

そこで改めて周りを観察したとき
気付いたのは、みんなの心地よい距離感だ。

・事前に予定があるときは臆せずに言う
・相手を尊重しつつ、自分のことも適度に主張する
・一人の時間をも全力で楽しむ

それは人を愛する/愛さないとは、別の話だった。

相手も自分も、どちらも大事にできると、みんなから学んだ。

***

だから、今は、わたしなりの健全な距離感を模索している真っ只中。

しゃべるときはしゃべり、集中したいときは部屋に籠る。

そうやって意識的に人と距離を取ろうと努めるうちに
「もっと自分を大事にしよう」と自然と思えるようにもなった。

最近、本当に呼吸がしやすく、生きやすい。

ひとりで京都を駆け巡ったり、
やりたかったけどやる前から制限をかけて諦めてきた色々に
今は、夢中で取り組んでいる。

***

人と暮らすことは面倒くさい。
自由をたくさん制限しなくちゃいけない。

でも、見えなかった景色にも
同じくらい、たくさん気付き、見渡せるようになった。

***

次は、がくぴょん。
がくぴょんに会って、わたしは入居を決めたんだっけ。

がくぴょんは、人と暮らして変わったことある?
そういえば聞いたことないかも。

いつもありがとう。
今度は、がくぴょんの物語も教えてね。