モンテ・クリスト伯感想 6
※ネタバレ含みます。
決意のダンテス。
復讐は胸の奥に秘め、ファリア司祭に教えを乞う。
紙もペンもない場所で学ぶ。
明かりは肉のわずかな脂身で作った灯火。
インクは葡萄酒に暖炉の跡から取った炭、ペン先は魚の骨。
ファリア司祭の記憶に学ぶ。
語学、歴史、貴族の所作。
驚くべき吸収力でダンテスは学び続ける。
「何のために学ぶのか」が、はっきりとしたダンテスと、その目的を察しつつ協力したファリア司祭。
しかし、二人の脱獄の思いは消えるはずもない。
新たな脱獄の計画と、ファリア司祭の病。
突然の発作に、またもや遠のく脱獄の夢。
早く一人で逃げなさいという司祭の言葉に、最後まで側にいることを誓うダンテス。
その言葉を、ありがとうと受ける司祭。
この物語で重要な位置を占めるファリア司祭。
登場シーンは少ないが、鮮烈な印象を受ける。
人はファリア司祭のように年齢を重ねるならば、年を取ることにも意味があるといえる。
若者であるダンテスが知り得なかった投獄の理由を、いとも簡単に見抜いた。
執念を燃やし、気の遠くなるような作業を続け脱獄を企てるも、不可能と気づくや否や、なんの躊躇もなく次の計画に心を移す思いきりの良さ。
物事を感情ではなく、常に論理的に分析する明晰な頭脳。
気難しくも思いやりのある言動。
まさに賢者の風格だ。
賢者は他者を嘲る事はない。
常に真摯に語らい、時に激しく追求するも、決して他者を蔑むような事はしない。
現代においても、そのような人物が老いて尚尊敬され、その指導力、判断力、決断力で力ある青年を導くならば、この世界はバランスを取り戻し、より良い方向へ動き出すのではないだろうか。
若者には力と改革の息吹きがあるが、思慮深さと判断力に欠ける。
年配者は経験からの洞察力や決断力があるが、保守的になる傾向がある。
大切なのはファリア司祭とダンテスのように、互いに敬意を払い、教えるべきは教え、学ぶべき学び、思慮と行動のバランスを対話によって保つ事だと思う。
幸福がその訪れを知らせる、心の扉を叩く音。
しかし、不幸に馴れたものは、その音に怯える。その扉を開けることを躊躇ってしまう。
ダンテスも不幸に馴れすぎていた。
ファリア司祭を敬愛しながらも、宝の話だけは信じることが出来ない。
ファリア司祭は、宝の話をしなければ、と語りかける。
ダンテスは、病の為にファリア司祭が精神錯乱を起こしたと思い、話を遮る。
「それを信じなければならないことは、なんともおそろしいことなのだった。」※1 p.327
狂人の言葉を信じるものは、狂人の仲間入りというわけだ。確かにそれを恐れるのは当然だ。牢獄は発狂と背中合わせの日常なのだから。
結局ダンテスは、逃げて自分の室に戻ってしまう。
ファリア司祭は半身不随のからだを引きずって彼の室へ。
伝えねばならない、その熱意のこもったファリア司祭の話。
宝の歴史が語られ、その正統な相続者と、それがモンテ・クリスト島に有ることが知らされる。
理路整然とした歴史の真実。
今度は余りの幸福に信じることができない。
それどころか、その宝を辞退しようとする。
その時だ、この場面は胸に迫る。
「あなたはわしの息子なのだ!」
(中略)
「主はあなたをわしに遣わされて、父親になれない男、自由になれない囚人、この二つを同時に慰めてやろうとなさったのだ。」※2 p.342
涙にくれる二人。
牢獄に光差すような光景。
胸を熱くする人間の言葉。
※1,2,アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳、モンテ・クリスト伯一、岩波書店より
風と墓場。
運命はダンテスからファリア司祭を奪って行った。
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モンテ・クリスト伯感想
モンテ・クリスト伯の感想です。 1巻から7巻まで、感想と個人的な思索をまとめました。
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