捨てた_20190602
あたらしい本が増えてきたので、自宅のちいさな本棚を整理した。
わたしの本棚にはいつか読んだ本、まだ読んでいない本などと一緒に、過去使っていたノートや手帳ものこしてある。あたらしい本を並べたいから、本では無いものを処分しようとおもってひとつひとつ手にとってみた。
2014年からの手帳がすべてのこっている。日記ではなく、予定を書き込む手帳なので文章などはあまりない。当時はなにして生きてたっけとたまに開いて懐かしんだりしていた。手帳にはときたま、その時は大事だった紙切れなどがはさまっていたりするのもおもしろい。いまはそれも全く価値を含んではいない。
高校時代たくさん勉強していたこととか、カフェを運営したこととか、むかしの恋人とのこととか、料理をがんばっていたこととか、家を出たこととか。
でもわたしは過去に縋ってしまう悪い癖があるし、そういうところが最近とてもきらい。前を、現実を見ろよ、とツッコミたくなる。なんだか、昔のどうでもいい唯一の栄光を語る中年みたいな感じで嫌。見返している自分にだんだん腹がたってきた。
先週、過去に縋りすぎるのとかいちいち過去を引き出して話をするの、やめようって心に留めたじゃんね。
それで、五年分の手帳をすてた。
ゴミ箱に入れるというたったそれだけの行為なのに、やや胸が詰まる感覚。でももういらない。こういう機会がないときっと見返すこともない。わたしはいま、環境に恵まれているし幸せな忙しさを噛みしめて、ちゃんと生きているので。それに過去のことはぜんぶ、わたしのこころとからだに刻まれているはず。必要ないね。
本日、わたくし、
すこしつよくなったかもしれない。
aoiasa
- 20190602
最後までありがとうございました。 〈ねむれない夜を越え、何度もむかえた青い朝〉 そんな忘れぬ朝のため、文章を書き続けています。わたしのために並べたことばが、誰かの、ちょっとした救いや、安らぎになればうれしい。 なんでもない日々の生活を、どうか愛せますように。 aoiasa