音楽が、夏と甘酸っぱさをつれてきた_20190702
中学生のわたしは、吹奏楽部でアルトサックスを吹く女の子だった。
母親が高校生のときに吹いていたという銀色の、めずらしくてとくべつな彫刻が入ったそのサックスは本当にうつくしくて、いつでもわたしの自慢だった。そんな銀色の相棒と、青春のほとんどを音楽で満たしたことを思い出す。
ひさしぶりに、吹奏楽で演奏した曲のひとつを聴いた。
〈この曲〉を聴くとどうしたって、心が、「わああ」となってしまう。心臓がキュッとしめつけられて、ここちよい苦しさで、大人になったはずのわたしが呆気なく泣いた。
音楽はすごい。暑くもないこの夜に、一瞬で、夏を連れてきてくれた。
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夏休みだって、わたしたちはずっと楽器を吹いていた。4階の部室は暑いからと、まるで離れのような柔剣道場で合奏練習をした。柔剣道場が木陰にあるからとはいえ、決して「涼しい」というわけではない。十分に暑い。むしろじめじめする。こういうのは、比較的なハナシである。
それでもあの、柔剣道場のこもったにおいが鼻をかすめる。
わずかに射し込む光だけを頼りに、目で追った音符たち。
ふたつしかない扇風機や、
ぬぐってもぬぐっても止むことのない汗。
蚊に刺されたこそばゆい脚、蝉の声。
怖いくらいに覚えている。そのときの感覚ぜんぶ、細胞ひとつひとつの、ものすごく奥のほうで、削ぎ落とされないよう隠れていたんだろうか。
何度も、みんなで同じフレーズを吹き続けたこと
ひとりで難しいソロを練習したこと、パートで常に一番でありたかったこと
めちゃくちゃな負けず嫌いが昂じて、休日も河川敷で吹いていたこと
そうやって、大好きな先輩に認められたかったこと
湿らしたリード。夢中で吹きつづけ、いつもうっ血していた下くちびる。
ひと箱、数千円する替えのリードを、何度も買いに行った楽器屋はもう無いらしい。いまだったらやっぱり、ネットで買ってしまうんだろうか。時代には時代の青春があるはずだけれど、あの時代のわたしたちがさみしいのは確かだ。
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何事でも、「どれだけ好きか」なんて、そのときは意外とわっていないもので、後々になってわかる好きの方がよっぽど正しい。
そのせいで今でも、それぞれの楽器の旋律を鮮明に聴き分けることができるし、必死に練習した運指も、なんとなく覚えている。わたしはこういう、役に立たないことばっかりを覚えている節がある。
大人になり、贅沢な環境が無くなってみていま、あのときの快感が恋しくなる。手に入れられないものほど、欲しくてたまらなくなる。まったく大人って生きものは、欲張りさんなんだから。
ああでも、あんなに生き生きできることって、大人になってしまったわたしのこれからの生活で一体いくつ出会えるんだろう。
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そういえば、同じパートの先輩が引退するときにくれたちいさな手紙がある。そこには確か、「お前なら越えられる」というようなことが書いてあって、家に帰ってからワンワン泣いた。犬ではない。中学生のわたしである。
自分がひたむきに努力してきたことを、尊敬している人に認めてもらえた事実が、もう愛おしい。
先輩のこと、本当はどうしようもなく好きで好きで好きで仕方なかったのに、そういう気持ちを伝えることもなく、先輩はあっというまに手の届かない人になってしまった。
そんな甘酸っぱ〜〜〜な気持ちも、夏と一緒にこちらへやってきてしまった。おいおいちょっと、それは余計だよ。中学生のわたしに返さなきゃ。
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いまここにいる21歳のわたしは、あの頃よりちょっぴりえらくなって、
寝る前にきちんとシャワーを浴びたり、本を読んだり、眠くなったら目を閉じて、これからのことに不安になったりする。日々はそれの、繰り返しだ。
でもこんな、ぐらぐらな21歳の夏もいつか甘酸っぱ〜〜になって、数年後のわたしがなにかのついでに連れてってくれるのかもしれない。そう思えて幾分か、救われたのだった。
- aoiasa
20190702
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