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【 18-19歳 】

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18歳から19歳のあいだで書いていた文章に、そのとき撮っていた写真を添えています。すべてが、自分のためのことばたちでした。(全25記事)
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解らない人

分かってくれる人は、 多くを語らずとも分かっているし 分かちあえるけれど いつまでも「解らない」人は、 興味が無いだけだ。 攻めるべきではない。 対立するべきでもない。 只、そこに在ればいい。 ____________________ 【 postscript 】 多くを語るのはあまり、 好ましくない 気が滅入るだけだ。 本当に大切なことを少しだけ伝えればいい。 それだけできっとわかってくれる。 そうやって生きてんだみんな。 ___________________

怠惰な魚のように

例えば、 生きられる範囲の温い水が張られた やわらかな金魚鉢の中で、 ふわふわ泳いでいる 怠惰な魚 だとしたら. ___________________ 【 postscript 】 自分が生きていられる環境で息をするのは 心地よいけれど、いいのか、いいんだろうか。 賢くもあり、怠惰だなとも思う。 何も進んじゃいないし、 何も変わっていない。 それでいいのかもしれない、 私が口を出すことではない。 ただ、その余裕がいつまでも、羨ましいのだ

むしゃくしゃしてた

自分次第って話。 正真正銘の楽しさは自分で生み出すしかない誰かに縋るなよいつまでも誰かに縋ってるからそうやって文句ばっかり垂れ流しているんでしょう「楽しくない」なら自分からまずなにか行動しろ自分が本当に良いと思える方向に歩け歩いてみて結果上手くいかなかったとしてもそれは経験として必ずどこかで活きる強みになる行動する人は明確に強くなるずっと楽しんでいる後悔も悩むこともそりゃあるはずでもそれも過程の一部でしかなくて乗り越えたら絶対的に楽しくなる つまり「楽しい」は過程じゃなくて結

不可逆の産物

全てが、不可逆の産物だ。 もっとこうだったらよかった、とか これが無ければ、あれがあれば、とか あの時、ああなってたらな、とか どうしたって考えてしまうんだけど、 もう子供じみたことは辞めなきゃいけない時期が来たんじゃないのって 私が悔やんたり恨んできたことすべてに私は生かされているような気もするし 普通の子と少し違う時間を過ごしてきてしまうと普通の人のようには生きれないし息できていたとしてもそれはあくまで「フツウの人」の真似ごとにすぎないの。これは本当に。うんじゃ

mudai

何事におきましても 「ご縁があれば」 というスタンスで構えていると案外、良いもので どうであれ、「ご縁がなかったね」 で、諦めのつく 優れもの。 欲がありすぎっとなんも寄って来んって あたしのばあちゃん言ってたぜ。 まさしく、ね。 中学時代、栃木に住む知り合いから盗んだこの生きかたに 私は意外と生かされているのね。 だいたい 自分から必死に必死に追いかけて、尾っぽ掴まなきゃ成らない事が、 世の中の八割五分っぽい気がするのだけど 時折、そういう時期 が追いかけず

タイトルをつけるほどでもない

出所のわからない風呂場の蛞蝓 やっとのこと読み切った短編集 水分量の多い空間 滴る 霞む 火照る身体 瞼の重さ、銀河一 本当に必要なのはヨルの静けさ ____________________ 当時、半身浴が好きでした。 低血圧にはよくないってどこかで聞いてやめてしまったけれど、 ぬくい湯船に浸かりながら、本を読む時間は良し。 それが体温に近づく様を感じるのも、良し。 林真理子の「死ぬほど好き」を思い出しました。 ____________________

点滅する信号の危うさ

終始、信号が点滅しているような生活をしていた。 必死こいて向こう側に辿り着く時もあれば、大抵は、一歩も踏み出せないまま変わってしまった信号をただぼんやりと眺めているような、わたしの生活。 本当のところは何もしていない気がする。 息さえしていなかったようなそれは、立ち止まりつつも逆走しているようで、ひとりぽつんと取り残されているかのように見える。周りの風景と周りの人間、それから時間だけが、前へ前へと進んで行くのだ。 「止まることは、そこに留まることを意味するのではなく